2015年12月26日

沖縄・辺野古滞在記 Part1

12月16〜19日に、沖縄の辺野古ゲート前抗議行動に参加するため、沖縄に行ってきました\(◎o◎)/!
(友達を数人誘ったけど、突然だったのと、12月はみなさん忙しいようでした(-_-;))
なぜそこまでするのかというと、辺野古が埋め立てられてしまえば、上関原発も造られてしまう!!という強い危機感があるからです(~_~;)
なぜ今なのかというと、来月になればもっと寒くなるので、2匹の猫たちが気になるからです(^_^;)

かなり早くから航空便を予約しておくと、とても安くなるようですし、レンタカーもネット予約すると安くなります。
沖縄は鉄道がないので、レンタカー会社がとても多く、空港まで迎えに来てくれます。

事前にキャンプシュワブのゲート前で活動しているFBF(Facebook・Friend)と連絡を取って、民宿も紹介してもらっていたので、それほどの不安もなく、沖縄に行くことが出来ました。

16日午後に、那覇空港に到着し、本当はその日の内に行きたい所がありましたが、レンタカーを借りるまで説明が長く、行きたい場所に向かっていた道中で、時間的に無理だと諦め、辺野古へ向かいました。
事前には軽車を注文していましたが、軽車の空きがなかったようで、普通車の小さめの車でした(料金は軽車と同じ)ので、高速では、結構スピードを出して、一路、辺野古へ向かいました。

辺野古に夜に着いたので、場所だけは確認しなければとゲート前に行きました。
ゲート前で常駐している人にお話を聞いて、車の駐車場も確認しました。
夜はとても静かで、警備員がいるだけでした。
テントの方には、常駐している人が一人(テントの中で寝るとのこと)と後は新聞社の方が3〜4人いました。
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なんたって初めての沖縄、しかも一人でレンタカーの運転(ナビ操作もほとんど初心者)ときて、民宿にたどり着けるかどうか心配でしたが、民宿の周りにはお店もないと聞いていたので、途中で見つけた道の駅でお弁当(これは美味しかった)を買って、どうにかこうにか民宿にたどり着きました。

民宿(ドミトリー)たどり着くと、女性は私一人で、後は男性陣4〜5人が、鍋料理を食べた後でした。
みなさん、奈良県や鳥取県、関東などから来られていて、長期間、抗議行動に参加されている方も居ました。
どうやらその宿は、抗議行動に参加する人の定宿のようでした。
私が、山口県から来て上関原発計画の反対運動に参加していると話すと、みなさん、辺野古も上関原発も同じだね、と言われました!!
私は2段ベッドが3台(全部で6台)ある部屋に一人、寝ました。(個室を希望していたので、そこしか空いていなかったようです。)疲れていたのに、緊張であまり眠れませんでした。

翌朝、5時には起きたのですが、トイレ・洗面が共用で順番待ちがあったりと、スムーズに行きませんでした。朝ごはんだけは食べなくてはと、かき込みました。
車に乗れば、前日、夜に走った道で方向が判らず、ナビに那覇方面の場所を適当に入れ、調べ直したりして時間を取られました。
また車の駐車場から300mぐらい歩く時間も計算に入れてなくて、6時10分頃にたどりついたら、薄暗い中、既に多くの人が集まっていました。
ゲート前に常駐しているFBFにはまだあえず、昨晩話した人に、山口のお土産をみなさんで召し上がってくださいと、渡しました。

沖縄は、山口より気温が高く、私は過ごしやすかったけれど、
朝6時なので、ライナー付きコートを着て、雨が降りそうなので、その上から雨カッパも着て、ちょうど良いぐらいでした。もちろん、帽子も被り、薄手の手袋もしていました。
沖縄の人々は、「今日は寒い」と言われていました。
私は寒いというより、ちょうど心地よい気温だと思ったのだけれど。。。
やはり沖縄は、とても暖かい所なんだと、改めて実感しました!!

蓑笠を被ったオジサンが、『今日も怪我することなく、気を付けて頑張ろう!』と言われてました。
ゲート前に座り込む人と、その前でプラカードを持って抗議する人とに分かれて、私はゲート前に行きました。

ゲート前に行くと、既にアルソックの警備員が7〜8人、ゲート前に立ちはだかっていました。
↓こんな真っ暗なうちから、毎朝(日曜日を除く毎日)、みなさん、集まっているのです(@_@;)
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その前に集合すると、怪我をしてはいけないので、そこで出来る柔軟体操をしようと言われ、簡単な柔軟体操をしました。
小さな折り畳みの椅子も配られ、雨が降るので、みなさんが用意していたテントを手早く組み立てられました。
それから、いつも動画で見ている山城ヒロジさんが来られ、今の状況を説明され、この日は沖縄各地から団体で80人が来ると言われていました。(総勢150人くらいだったそうです。)
ヒロジさんと、動画でいつも見ていたヤスさんが来られ、みんなで『座り込めここへ』や『沖縄を返せ』を歌い、連帯感を高めました。
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しかし、周りを見渡すと私よりも年上の人がほとんどで、みなさん、お体は大丈夫なんだろうかと少し心配になりました。
そこでようやく、ゲート前で常駐しているFBFにようやく会うことができ、ご挨拶をしました(^_^)/

そうこうする内に、目の前に機動隊が並び、まず、さっき組み立てたテントを壊し始めました。
そして一人一人を『ごぼう抜き』にかかりました。
みんなで「憲法を守れ」「暴力反対」「辺野古を埋めるな」などと叫びました!!
さっき隣同士で会ったばかりですが、少しでも時間稼ぎをしようと隣同士で腕を組んだり、前の人の肩を押さえたりしました。
しかし、相手はまだ20〜30代の、しかも常日頃訓練をしている若者たちです。凄い力であまり声も上げずに、排除していきます。
私は座っている椅子(かえって力が入らなかった)が邪魔で除けたいと思った隙に、持ち上げられました。
あまり抵抗をして腕や足ひねられては嫌だと思ったのですが、「暴力反対」と叫び、またお気に入りの帽子(こんな時には被らない方がいい!)どこかにいったのが判ったので「帽子を返せ〜!」と叫びました。
そしたら機動隊員が帽子を探して、持ってきました(^_^;)

(初日は、写真を撮る精神的ゆとりは、全くありませんでした。)

柵に囲まれた中に運び込まれ、そこから出ていかないように機動隊が見張っているのですが、そこからもプラカードを持って大声で「東京の機動隊は帰れ!」と叫びました。
また、目の前に立っている機動隊員たちに、
「自分たちのしていることが、戦争に加担することになること、判ってるの?」と何度も聞きました。
ほとんど無視されてましたが、中にはキョトンとした顔(このオバサン、なに言ってんの?という顔)の人もいて、「機動隊員は、個人的に何も考えていないんだな」と感じました。


中にはその柵の下からスルリと出ていき、機動隊の車の下に潜り込んでいる人もいました。
そうこうする内に、大きなゲート前の方に機動隊員が集まったので、みんなもそちらに行きました。
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山城ヒロジさんが、ゲートの中の機動隊員に向け「ウチナンチュの機動隊員の中には、毎日、心で泣いている奴もいるだろう。自分の家族に手を上げているようなものだからな。そういうヤツは、僕に連絡して、機密情報を教えてくれ!!いつでもこちらで守ってやる。携帯番号は090-・・・・・・・」と話されるものだから、みんなから笑い声が漏れてきました(^_-)
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そんなどさくさの中で、山城ヒロジさんに近づくことができたので、
「山口県から来ました。上関原発の反対運動に参加しています。」と言ったら、直ぐに
「山口県でそんな運動をするのは、大変でしょうね?」と気遣ってくださいました(^_^)/
きっと、直ぐに安倍シンゾーのことを思い浮かべられたのだと思います。
私は、その時はヒロジさんの思いやりに気が付かず、
「仲間内ではワイワイとやっていますが、なかなか人が増えないのが悩みの種です。
それよりも、ヒロジさんのお体がとても心配です。どうぞ、お大事にされてください。」と答えました。
(今年春にガンの手術をされています(-_-;))

直ぐに相手のことを気遣うヒロジさん、とても思いやりのある優しい方です(^_^)/
みんなには、「みんな、あまり熱くならず、冷静に対処しようね!」と言いながら、ご自分は、機動隊に対しとても攻撃的にガンガンと責め、熱くなるヒロジさん(^_^;)
とても気骨がありユーモアたっぷりのヒロジさんがいなくては、沖縄の闘いは進まないし、闘えないと、強く感じました\(◎o◎)/!


私は、朝、ご飯を食べただけで、小さなお茶は持っていたけど、叫び続けてのどがカラカラになり、旅行前から睡眠不足だったので少しめまいがしてきました。
これから沖縄県警の拘束されている人たちを励ましに行くと言われましたが、申し訳ないけど休みたいと、宿に帰り、休みました。

宿に帰って少し休みましたが、時間がもったいないと起き上がり、この日はドキュメンタリー映画『標的の村』で有名な「高江」に行こうと車を出しました。
しかし、よく考えるとお昼ご飯を食べていなかったので、民宿の近くにある『道の駅』のようなところのレストランに入ったら、沖縄料理のメニューがたくさんありました。
早速、一番食べたかった「ソーキそば」を注文しました。
きて見てビックリ、スペアリブを煮込んだ大きな肉の塊が3個もうどん(そばといって麺が太かった。写真を撮るべきだった!)の上に乗っかっていて、それに紅ショウガがたくさんのっていました!!
とても美味しかったので、完食しました(^_^;)

それから高江の方向に向かいました。
山の中を走るのかと思ったら、海岸線をず〜っと走り、沖縄本島特有の景色が見えました。
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道路はとても立派なのですが、対向車が数えられるぐらいしか走っていません。
米軍基地があるので、沖縄県には今まで多くの振興金が出ているので、道路はとても立派なんだな、と思いました。
車で1時間以上走り、山の中に入り、ようやく高江のテントに到着しました。
そこの直ぐ近くは、米軍の演習地域で、ヘリコプターが停まる場所「ヘリパッド」が今の所2か所あり、時々オスプレイも来るそうです(@_@;)
米軍の予定では6か所作る予定ですが、それを進めないために、24時間交代で、座り込みをされています。

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少し道なりに登っていくと、『やんばるの森』が見えるところに出ました。
最初、私は木々が枯れかかっているのかと思ったら、亜熱帯特有の「いたじ」またの名を「ブロッコリーの木」というそうで、枝の先にしか葉が付かない木だそうです。
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道路のすぐ下の崖では、そのいたじが何本か倒れていました。
テントに常駐している人が教えてくださいましたが、こうやって森の中に道ができ(振興金で道が造られているそうです。)またヘリパッドではヘリコプターの風が凄いので、下の地面の乾燥が起きていて(元々湿地帯だそうです)、地面が崩れているのだそうです。
特別記念物のヤンバルクイナも時々鳴いている森は、だんだん崩れようとしているのが、現状のようです(-_-;)
辺野古の海と同様に、「やんばるの森」も守らなければいけませんね!(^^)!

そこから、引き返す方向で少し走っていたら、左側の路肩に迷彩色の軍服とヘルメットを被った米兵が2人、ヒョコっと出てきました。
ここは軍事訓練場所なんだと、その時、強く認識しました(@_@;)

もしそこで鉄砲の弾が飛んできたらと思うと、背筋が寒くなりました(-_-メ)
日常生活をしている場所に、突然、戦闘服を着た兵士が現れ、平気に活動している。。。。。
それが沖縄の日常のようです(~_~;)

そこから民宿方面へ引き換えし、沖縄本島の反対側、大宜味村にある沖縄独特の芭蕉布を作っている『芭蕉布会館』という所があるというので、そちらを目指しました。
今度は、東シナ海側に出て、思っていたより波が高いのに驚きましたが、とてもきれいな海でした(^_^)/
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芭蕉布会館にたどり着いたのが、閉館10分前でしたが、受付の人は愛想よく迎えてくださいました。
2階で、染め物と織物の作業をされていましたが、みなさん黙々とされているし、声もあまりかけないようにと書かれているので、黙って見て階下に下りました。
階下で芭蕉布ができるまでのビデオを見せて頂き、あれほど根気のいる作業を黙々として、出来た作品は質素だけど、とても美しい布で、とても高価になる理由が判りました。
昔の沖縄の人々が着ていた、うす黄土色に茶色や藍染めの絣のある、あの布です。
夏はとても涼しいそうです。
アジアにケナフとか似た布はありますが、きめの細かさ、精密さは、沖縄の芭蕉布が一番だそうです!!
芭蕉布の製品は高価で買えないので、フィリピン製のケナフで作った名刺入れが手頃な値段だったので、自分のために買いました。

芭蕉布会館から降りたところに、沖縄の古民家らしき建物があり、どうやら焼き物を販売している所のようなので、中へ入っていきましたが、誰も人がいなくて、展示もあまりされていないので、写真だけ撮って帰りました。
門構え
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古民家
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辺野古の近くにはお店があまりないですが、ゲート前から少し行ったところで大浦湾へ右に曲がってしばらく行くと、お昼にソーキソバを食べた道の駅があります。(名前は忘れました。)
そこは19時頃までは営業しているようでしたが、それに気づかず、コンビニの弁当を名護市内で買って帰ったら、とても不味く、2〜3口食べて、これ以上食べると気持ち悪くなると思い、もったいないですが、捨てました。多分、添加物がたくさん使ってあるのでしょう(-_-メ)
やはり宿泊する宿の近くの食堂や弁当屋さんは、事前にチェックしておいた方が良いと思いました!(夕食が付きの宿は大丈夫ですが。)

2日目の夜は、この日に石川県から原付バイクでフェリーで来られた元漁師さんが、民宿に来られていました。
正月過ぎまで滞在すると言われてました。
民宿では、抗議活動に参加している人がほとんどなので、どうしても政治の話になります。
私は平和主義者なので、憲法9条を守り、コスタリカのように軍隊のない国を目指すのが一番だと話しました。
そうすれば、軍事費に回すお金を、福祉や教育に使えるからと話しました。
それに賛同してくれた京都から来た青年が一人、穏やかな笑顔を浮かべていました。
皆さん、それぞれに思いがあり、話が盛り上がりました。
が、私はとても眠かったので、早々に引き揚げ、シャワーも浴びず、早めに寝ました。


《追 記》
この日、抗議行動の後に、テントで常駐している、昨晩お会いしたSさんに名刺を渡そうとしたら、名刺入れが無いことに気が付きました。
いつも入れているバッグのファスナーが開いていたので、どこかで落としたのかも、と言ったら、Sさんが「届け出があったら保管しますよ」と言われたので、私の携帯番号とこのブログの『ボチボチ生きましょう〜』を書いて渡しました。
その直後に、Sさんにとんでもないことが起きようとは、この時は想像できませんでした(~_~;)私はその現場を見ていないのだけれど・・・・・
Sさんは、この直後に、警察と一悶着あったようで、沖縄県警に拘束されたそうです(@_@;)
私が思うに、理性的な人だったので暴力をふるうようなことは、多分されていないと思います。
いつもゲート前テントに寝泊まりされているようだったので、警察にとっては煙たい存在だったのでしょう。沖縄県警は何かあったら捕まえてやろうと狙っていたのでは、と私は思います。
Sさんは拘束されるのは、これで2回目だそうです。
辺野古ゲート前で抗議活動をしている人たちは、いつ逮捕されるか判らない恐怖を抱えながら、抗議活動をされています。。。。。
私のようにたった2〜3日参加したぐらいで、しかも暴力も振るわなければ、決して逮捕されることはありません。その代り、口で抗議し、1秒でもゲートにトラックを搬入させないための時間稼ぎをするのです。
Sさん、もう解放されたでしょうか?心配だな(-_-;)

帰り道の途中で、朝、座り込んだゲート前に車から降りて(その真向いはまだ機動隊が見張っていましたが)、「黒い安っぽい名刺入れがあったら、携帯番号が書いてあるので電話してください。」と話したら、近づいてきた中年の男性が「Uの民宿に居る人だね?見つかったら知らせてあげるよ。」と言われました。
その人の顔を見て、典型的な沖縄の人の顔だなと思ったけど、どこかで見たことがある人だな、と思いました。
昨日、ドキュメンタリー映画『戦場ぬ止み』(三上智恵監督)を再度見て、その中に登場しておられた、渡具知さんだと判りました!!
この10年間、毎週土曜日夕方に、ご家族で辺野古基地建設反対を訴えて、ゲート前で行動されている方です(^_^)/
みなさんの、忍耐強い努力に、本当に頭が下がりますm(_ _)m

名刺入れは、朝、民宿で出会った人に名刺を渡して、そのまま部屋に忘れていました(^_^;)

Part2につづく。













posted by ボチボチおばさん at 14:14| Comment(0) | 反戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月11日

『言葉のペテンを見抜こう』A・ビナード 『日本国憲法』Sing02

またまたアーサー・ビナードさん関連ですが、
12月8日の東京新聞に、ビナードさんのインタービューが掲載されたようです(^_^)/

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2015年12月8日東京新聞
『言葉のペテン、見抜こう』 アーサー・ビナード
【自分たちの問題】

 戦争は、常に殺されたり、殺したりすること。
「戦後和解」を考える時、被害と加害のどちらを入り口にしても、大した問題ではない。
要するに、権力者や国のペテン(詐欺)を見抜かないまま考えても全く意味がないということ。だまされてはいけない。
 1990年に来日し、6年後に初めて広島を訪れ、平和記念資料館で被爆体験を聞いた。そして「ピカ」「ピカドン」という言葉に初めて出くわした。
ぼくにとっては、新出単語。「原爆を擬態語で言えるのか」と衝撃的だった。
 東京に戻って「ピカ」という言葉を使って広島を説明すると、ぼくは今東京にいるのに、自分が広島に立って話しているような感覚に気付いた。
言葉によって視点が変わることを初めて具体的に認識できた。
 そうすると、米国の学校で教えられてきた「戦争を早く終わらせるために原爆は必要だった」という正当化論の根拠は何だったのか、と考えるようになった。
当時のいきさつを調べると、国民に知らせず、原爆という無差別大量破壊兵器開発に多額の税金をつぎこんだ事実が見えてきた。
派手に正当化しないと米政府の罪が問われてしまう。
だから、米政府主権の正当化キャンペーンが必要で、演出だったのだと。
 でも、それは日本も同じ。広島の平和記念資料館の一周年記念イベントは、「原子力の平和記念博覧会」。
原爆の実態を語るはずの資料館が、原子力がいかにすばらしいのかという発信基地にされ、矛盾だらけの現場にされてしまった。
 いま、安倍首相が言う「積極的平和主義」とデモでいう「平和」の中身は違う。
平和という言葉一つをとっても、その言葉が何を包んでいるのか、何をはらんでいるのか、点検しないで使うとだまされてしまう。
 まずはひとごとと思わないこと。
自分が関係あると分かれば、人は言葉に敏感になる。詩人でなくたって。
 それを最も実践できているのは沖縄だ。小さな島がなぜ日米両政府に抵抗できるのかは、自分たちの問題だとわかっているから。
祖父母が殺されたことと、辺野古に新基地が作られることは直結する。健全な疑いを持って闘っている。
 いま、日中韓で歴史認識の問題があるが、それで一体誰が喜ぶのかを考えてほしい。
それぞれの国が同じ演出手法を利用して、自国民を黙らせたり、ガス抜きをしているようにしか見えない。
結局、損をするのはそれぞれの国民なのに。
 言葉には力がある。でも、だまされるのも、その言葉から。
しっかりと、自分のこととして捉えないと、戦前のつまらない世界へと簡単に逆戻りになる。正念場です。
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『ひとごとと思わないこと』
自分が暮らしている地域が、こうなったら、自分がああなったら、と想像することですね。
いつ、本土が沖縄のような状態になるのか、判りませんよ!!
今、毎日辺野古では、ゲート前で抗議行動がされています。
人数がもっと多ければ、止められるのに、、、と思います。。。。。
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☆ビナードさん情報で、もう1点、追加します!
12月8日夜に、ラジオ文化放送で『さがしています』の特別番組がありました。
長崎原爆のこと、また吉永小百合さんにインタビューもされています。
http://www.joqr.co.jp/sagasu/2015/12/
来年1月10日には、長崎放送で再放送があるようです(^_^)/
山口県でも聞けるかな?


*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*
ガラッと変わって、Sing02さん
ちょっと前の話題ですが、Sing02さんが『日本国憲法』という曲を発表されています!!
もちろんラップですが、なんと22分もあります!!
というのが、地球上で憲法ができた800年前からの憲法の歴史から始まっています。
日本国憲法、世界の憲法、そして日本の歴史について、とても勉強になるラップです\(◎o◎)/!
しかし、これだけの詩を作るのに、どれだけの本を読み、どれだけ勉強したのだろう〜?
やはり、この方も天才ですね(^_-)

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日本国憲法が、アメリカから与えられたものだと非難する人がいますが、
世界の憲法を見ても、イギリスもマグナカルタをコピーしたもののようですし、アメリカはイギリスの憲法を元につくられているようだし、だいたい似たようなものです。
作られた経緯がどうであろうが、与えられたものであろうが、良いものは良いのです!!
『日本国憲法』は、世界が理想とする、あこがれの憲法なのです\(◎o◎)/!
アーサー・ビナードさんも、来日してから「日本は戦争しない」という憲法があることを知り、それを守っていることにとても感動した、と話されていました(^_-)
それを、安倍コベは、憲法改正をしないで、姑息なやり方で、憲法9条を台無しにしようとしています(~_~;)
日本は、68年前に日本国憲法を作り、『二度と戦争はしない』と誓いました!!!!!
この憲法は、発表されるや否や、国民に賞賛を持って受け入れられたのです(^_^)/
それを、自分と自民党の都合で勝手に変えようとするとは、一体、この国を誰のものと思っているのか???
この国は、私たち国民のものです!
あんな姑息な奴らに奪われてたまるものですか!!!!!
安倍コベや自民党、権力者たちは、やがて日本が核廃棄物処理場となることを、望んでいるのでしょうか?
アメリカは、日本は属国と思っているので、そうしようとしているのですが・・・・・

そもそも憲法は、私たち国民が政府に突き付けたもので、守らなければいけないのは、政治家・官僚などの権力者なのです。

話が長くなりました。
世界の憲法、日本の憲法について、学びつつ楽しみましょう(^_^)/
Singo02さん『日本国憲法』
http://e22.com/kenpo/
********************
[序章]
文明の衝突とは唐突に起きるのか、
それとも丁寧に敷かれたレールなのか
これは世界の荒波で生き存える
極東の島国のお話である
憲法の前にまず 人間がありき
歴史から紐解き未来を垣間見た、その時
浮かび上がる、国家の最高法規
人々を平等に尊重するために
記された約束、それと同時に
冒した過ちを二度と繰り返さぬように
法が従わねば、違憲であり無効に
支配者の歴史、絆か鎖かを問うに
民主主義は未だ実験的
その証拠に表紙の下は、筋書きと演劇
資源と資産の四次元パズル
膨張すれば弾けるバブル
真実を叫べばバルス

「生命、自由及び、幸福追求の権利」
日本国憲法第13条の一節
原文の「Life, Liberty, the persuit of Happiness」
アメリカの独立宣言を引用したが、一説によれば
トーマス・ジェファーソンはイギリスの哲学者ジョン・ロックが
「国民の生命、自由、及び財産」と
政府が守るべきものとしたフレーズを拝借

同じくロックの「幸福追求」の概念と組み合わせ
「より詩的な」文章の書き換えに成功
この一節のサンプリング紆余曲折を追うだけでも
時空の航海へご招待

[植民地主義]
憲法の歴史を辿れば、何世紀にも渡る民衆と君主制の闘争の末、
1215年 イングランド王国、キング・ジョンが制定したマグナ・カルタ
自ら、国王の権限を制限した憲章は画期的
「神に与えられた、不可侵の基本的人権」が此処に
それまでは不当な税や差別、投獄や拷問に
抵抗する術としてデモ以外はクーデター、
または武装蜂起が有効だったが
血を流し、革命を繰り返し、やがて民衆は組織することを覚えた
民法と法廷が産まれ、世界的に憲法制定の動き、勝ち取った自由だ

17世紀の終わり、イングランド銀行
貴族の財産を運用する商人が台頭、格差は保証された
富裕層は裏で糸を操る、舞台には政治家兼役者が立つ
金融と保険、大航海時代、植民地支配の始まり
300年間、1000万人の奴隷貿易、ポルトガル商人
王国は中南米インディオの殺戮を承認

イギリスはアメリカに13の植民地、暴力と策略で先住民を殺し
そのコロニーはやがて「代表なくして課税なし」と立ち上がり王国との戦に勝ち
1776年 独立宣言、88年 合衆国憲法に印
同時に火縄くすぶるフランス革命と人権宣言、再び人民の主権
だが引き続き黒人の人権は無視、奴隷は南北戦争まで80年続き
1960年代の公民権運動まで、不平等は更に100年間蔓延り
アイゼンハワーが鳴らした警鐘、軍産複合体、現在は刑務所産業
220万人を収容、現代のクンタ・キンテ、己のルーツを探れ

さて19世紀に入り、マニフェスト・デスティニー
使命に基づいた領土の拡大と搾取
アメリカは北米大陸制圧、艦隊は海外拠点を熱心に略奪
中南米の後は太平洋に前進
アラスカ、ミッドウェー、ハワイ、グアムにフィリピン
英国は日が沈まぬ帝国、ヨーロッパ諸国も植民地を広げるべく
1840年 イギリスはアヘン戦争で清に勝ち、江戸幕府にショックを与える
42年南京条約、不平等条約の先駆け
11年後にとうとう米国のペリー黒船、横須賀に来航
250年続いた江戸の「泰平の眠りを覚ます上喜撰、たつた四杯で夜も眠れず」
真夏の夜の出来事
一年の猶予の後、日米和親条約
鎖国がようやく解けたが幕府と共に、武家社会も崩れ始め、
武士は彷徨い「尊王攘夷」の動きに繋がった

1856年 アロー戦争、英仏は北京条約で清を支配
日本も脅かされ、アメリカのハリスは保護を申し出る
ここで幕府が折れる

58年 日米修好通商条約
続けて日蘭・露・英・仏と結び、物価が高騰
安政の大獄後、大老井伊直弼、雪の桜田門にて散る
63年 薩英戦争、64年 下関戦争、圧倒された薩長
犬猿の中を坂本龍馬が取り持ち、同盟
前年には孝明天皇が外国の圧力で勅許を出すが、時既に遅し
商人は倒幕へ根回し、龍馬は寺田屋で闇討ち
維新十傑は残った、役者が揃った、明治の幕開けだ

[明治維新〜大日本帝国憲法]
大政奉還、王政復古、1868年 明治政府が出航
旧幕府軍を戊辰戦争で討伐、一段落したが

新政府の急務は不平等の撤廃、日本の近代化
それは「富国強兵」の合言葉
73年 徴兵令、地租改正、より資源を求めて北海道を開拓へ
「お雇い外国人」を何千人も受け入れ
政治、金融、建築、医学、芸術まで
列強と呼ばれた欧米からすれば、法典の不在は治外法権の正当化
幕府はすぐに編纂を希望、だが明治の六法は全て外国人が起草
ナポレオンをモデルにフランスのボアソナードは
まず拷問を廃止、刑法・治罪法、民法
ドイツのテッヒョーは民事訴訟法
そして最も大事なのはドイツの法学者
ヘルマン・ロエスレルとアルベルト・モッセ
商法に加え、大日本帝国憲法の草稿
井上毅の草案を指導した、つまり
明治の法律と憲法は、西洋にならって作られただけでなく、
西洋人が起草したものを、日本人が翻訳する工程で形になった
それがこの国の青写真だ

自由民権運動が高まり、明治天皇が立憲政治を宣言
政府内で争い大隈重信を追放

これで天皇の意志に依る君主主権でGO
竹橋事件、武装叛乱「軍人勅諭」皇道的武士道へ突き進む
これがいずれジュネーブ条約等、

国際法を無視した「戦陣訓」に見受けられるように
「日本の軍人は、死ぬまで戦え」そして「捕虜は恥である」と教える布石となる

1879 琉球を強制併合、沖縄との軋轢の始まり
85年、イギリス議会をお手本に
薩長中心の初代内閣総理に伊藤博文
1890 明治23年、大日本帝国憲法施行
ドイツのプロイセン王国首相、ビスマルクに感銘を受けた伊藤
古来からの天皇制を軸とした国体実現のため
「万世一系」「神聖であり侵すべからず」とした
これも立派な詩的プロパガンダ
国民の権利は与えられた恩恵だ
そして第11条「天皇ハ軍ヲ統帥ス」
陸軍、海軍の最高指揮者
統帥権が明文化されたが故
権力の濫用に至る所以、前途多難な行方

1893年 ハワイのリリウオカラニ女王の政権をアメリカ軍部が転覆
南アフリカでボーア戦争、加速するアフリカ分割、20年間続く
1894年 朝鮮半島をめぐり日清戦争、日本の勝利
下関条約で半島が独立、乙未戦争の結果、台湾を併合
欧州発、吹き出す黄禍論
露独仏の三国干渉、遼東半島を返還
だが賠償で経済が飛躍、更なる軍拡、六六艦隊計画
帝国主義、武士が戦艦を操り
絵空事だった大陸に進出し
日英同盟で勢いづいた日本は
1904年 再び大陸の権益を巡り
日露戦争勃発、6万人の戦死者を出しながら短期決戦で打ち勝つ
ルーズベルトの仲介でポーツマス条約
日本の領土の三倍の満州を掌握
戦局好転によりイギリスから巨額外貨調達
つまり、この時代は
経済なしくて戦争は成功せず
そして戦争なくして経済は成し得ず

[第一次世界大戦〜太平洋戦争]
1912年 辛亥革命
清の時代が終わり、中華民国樹立
1913 アメリカで財閥が結託、連邦銀行カルテル 
国家の台本を書いてる、私有の中央銀行制度
翌年は欧州で第一次世界大戦、五年で900万人の兵が犠牲 
米国は融資を英仏部隊へ、参戦しアメリカドル国際舞台で躍進
大日本帝国は連合国に加担、
ヴェルサイユ条約でドイツ権益を譲り受け
海上封鎖され数十万人餓死したドイツ
経済が完全に崩壊、ヒトラーの時代到来

1923年 関東大震災以降
日本経済は一気に下降
米国の排日移民法、大正天皇崩御
からの金融と昭和恐慌
1929 アメリカ証券暴落、ドミノ倒しの世界大恐慌
植民地を持つ国はブロック経済で守り抜くが
資源の無い日本は貿易を失い
絶望的な不況、危うい兆候
1930 ロンドン軍縮条約の締結をめぐり
犬養毅らの野党が「統帥権干犯」と騒ぎ立て
政府と軍部に溝、二年後の五・一五、犬養首相暗殺

1931年 関東軍の自作自演、満州事変
翌年に満州国建国
ラストエンペラー・愛新覚羅溥儀
傀儡政権

1936年 二・二六事件 雪の朝
昭和維新を訴える青年将校、
要人数名殺害、クーデター未遂
天皇に逆賊と見なされ鎮圧、首謀者と思想犯を処刑
逆に軍の政治介入が強まる結果に

1937 蒋介石との日中戦争
近衛文麿首相、国家総動員法
大東亜共栄圏の構想、解放戦争を提唱
1940 日本は欧州を征圧していたナチスドイツと軍事同盟
アメリカから経済制裁、狭まるABCD包囲網
資源を確保すべく、フランス領インドシナに侵攻
すると石油と鉄の七割を頼っていたアメリカは
日本へ輸出を禁止し
41年 中立法から一転、レンドリース法により連合軍側を支援
英国がドイツを破る鍵となる

11月26日 米国はハルノートを通達
日本の三国同盟の破棄、満州撤退を命じた
草案に関わった財務省のハリー・デクスター・ホワイト
彼はソ連のスパイだった、通称スノウ作戦
大日本帝国にとって無理難題な提案
最後通牒と捉える、挑発は双方の開戦派にとって好都合
12月7日 東条英機首相
真珠湾にてアメリカ海軍を攻撃
太平洋戦争の始まり

日本海軍は怒涛の勢いで
マニラ、シンガポール、ジャワ島を占拠
マッカーサーは豪州まで逃げる、しかし

42年6月 ミッドウェー海戦で戦局は一変
物資に乏しい日本は、長期戦で勝てる見込みゼロ
なす術もなく、硫黄島で敗北
マリアナ諸島で負けてから
日本の本土空爆が可能に

この間、連合国軍は日本統治の会談を重ねる
45年2月 クリミア半島のヤルタ会談において
ルーズベルトとチャーチルとの密約
スターリンは日本との中立条約を破る参戦を決め、
満州と北方領土の権益も確保
45年3月10日 B29、東京大空襲
10万人の死者、焼夷弾の民間都市絨毯爆撃
計100回以上経験する
5月にドイツ降伏
6月 沖縄戦敗北、19万人の犠牲
本土の大空襲も続き日本の敗戦は濃厚

アメリカが莫大な国費をかけたマンハッタン・プロジェクト
7月16日 人類初の原爆実験トリニティがニューメキシコ州の砂漠で成功
科学リーダーのオッペンハイマーは「バガヴァダ・ギータ」を引用
「我は死になり、世界の破壊者なり」
7月26日 大日本帝国に無条件降伏を求めるポツダム宣言
鈴木貫太郎首相は黙殺、国体護持に固持
アメリカ的には案の定、ロシアに降伏仲介を打診中もスルー
8月6日、広島原爆投下
8日にロシアが参戦、9日に長崎投下
いよいよ本土決戦を避けるため
昭和天皇の「聖断」
8月15日正午 ラジオから
玉音盤アナログ放送

日本は二百万の兵、百万の民間、計三百万人以上の犠牲者を出し
更にその何倍もの命を奪った
日本軍は敵軍のみならず、自軍の人権を軽視
戦局が悪化してから無茶な作戦を繰り返し
投降が認められなければ、自害か玉砕とし
戦死した二百万の内、大多数が戦地で餓死か病死

[日本国憲法]
8月15日 トルーマンはマッカーサー元帥を
「SCAP=連合国最高司令官」に任命
六年間のGHQによる占領統治が開始
マッカーサーは昭和天皇と面談し
10月 憲法改正を指令
幣原喜重郎首相、松本烝治大臣と指揮
以降、様々な改正案を紹介する各紙
2月1日 毎日新聞は政府案をスクープ
マッカーサーは保守的な内容と失望
民政局長、ホイットニー准将の進言により
草案作成を命令
極東委員会がGHQの上部機関となる、
2月26日がタイムリミットだった
幣原首相と1月末会談した翌日
「天皇を起訴すれば混乱が生じ、100万の米兵が必要になる」
とアイゼンハワーを牽制
「象徴天皇と戦争放棄」の一対を掲げた「マッカーサー・ノート」
体裁はあくまでも日本側が作成とする極秘任務
トップに就いたケーディス大佐は弁護士でもあり
彼は「自衛権を放棄する」表現を「非現実」として削除

「密室の9日間」で民生局25人、92条を英文で完成
この時、アメリカの独立宣言、世界各国憲法のみならず、
日本の民間草案も参考にされた
言い換えれば、民定憲法のメガミックス

2月13日、GHQは日本政府の正式案を鼻から拒否
マッカーサー草案を提示、圧力をかける
迫られた日本は閣議で受け入れを決定
あと二週間で修正と翻訳の「日本化」を担当
内閣法制局 佐藤達夫
人権条項、男女平等を訴えたベアテ・シロタ・ゴードンも通訳として活躍
倫理観を含め、翻訳の難航
勘違いの座礁を乗り越えて仕上げた快挙

3月6日「憲法改正草案要綱」決定
新聞で内容を初めて知った国民は衝撃を受けた
口語と平仮名で成文化された後、
最後の帝国議会において、最終審議
小委員会は一ヶ月で13回開催
9条に「前項の目的を達するため」と挿入した「芦田修正」は
自衛戦力を合憲とする根拠になった
極東委員会は、それを見据えた上で
閣僚は「文民」でなければいけない
「シビリアン・コントロール」を盛り込む

結果として新憲法は一語一句、二カ国語で文法的、法学的に解体され、
国際的に厳しく審議され、その上でアメリカが認めさせたのだった
こうして、1947年5月3日に日本国憲法施行に至る

[現代]
言論の自由、原爆報道にプレスコード
軍部の言いなり、翼賛体制を後押し
した大手新聞は、手の平返し
検閲に協力、自主規制は根強く残っている
東京裁判で戦犯を裁き1000人処刑
巣鴨プリズン 冷戦構造
朝鮮戦争以降、9条はなし崩し
警察予備隊、保安隊、自衛隊

ご存知、日本の歴史観が問われている 
2014年 安倍政権は閣議決定で
集団的自衛権について
「密接な関係にある国への攻撃によって
日本国民の生命、自由及び幸福追求の権利が
根底から覆される明白な危険」があれば
武力行使への道も開けると示した

冒頭でも触れたが、
引用されている第13条のくだりは
「国が侵害すべきではない自由権」なのであって、
「他国の脅威から守るべき権利」ではない
憲法は解釈で軍を動かすためにあらず

最後に、第97 条「人類の多年にわたる自由獲得の努力」とは、
人権が確立されるまでの、全世界の血と汗と涙の結晶を指す
日本国憲法は占領下の特殊な事情で生まれたとは言え、
逆に白紙からだったからこそ成し得た、
先人の多大な犠牲の上に成り立った賜物だ

後付けの理由より、俯瞰的な事実
価値観リセット、OSをアップデート
加害者と被害者の関係では到底見えない
利害の害ばかり、誰が漁夫の利 
第三者の図式、利権には権利で立ち向かい
対峙する現実、実現させる意識
条件反射の立ち位置、両極の天秤
表面的議論、中立許されぬ不憫
本質的な問いかけ、おざなりに置き去り
経済ばかり、地政学、防衛はひた隠し、
表向きに便利な機密扱いに
情報の袋小路、触れぬ触れさせぬ
民意を分断、有事の際に家宅捜査
私達は、印象操作による集団心理より
普遍的正義のため
領土や人種を凌駕する崇高な理想のために
戦う、何世紀もの、幾多の戦で命を賭け、落とし
生き抜いた遺伝子
燃え付きた命より、更に明るく
燃えることが 後世のため、時間の使い道
憂い無ければ、備え無しこの国は。
憂い無ければ、備え無しこの国は。
右や左より、前に進むのみ
時代の波は常、変わらぬ方が愚かなり
人との違いばかりに目を向けずに、
自分が違いを生む人になれるように
本物の喜怒哀楽
魂が震える喜び
腸から怒り狂い
人知れず涙し
懸命に楽しもう
この与えられた日々を

Fight the Power
Life, Liberty and Pursuit of Knowledge for All
Pray for Wisdom, Live for Peace.
Peace

(権力に屈さず、生命、自由と知識への探求を全ての人に
知恵のために祈り、平和のために生きよう。Peace)
*****************

読むのがしんどい方は、動画がありますが、
聞くだけでは、あまり言葉がよく聞き取れません(>_<)






posted by ボチボチおばさん at 11:17| Comment(0) | 反戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月08日

『平和元年』元ちとせ、辺野古を応援しよう!!『Happy Xmas(War is over)』

本題に入る前に、
今夜のアーサー・ビナードさん情報をお届けします(^_^)/
12月9日(水)19時からの1時間は、
文化放送の特別企画『戦後70年企画〜アーサー・ビナード 長崎原爆を探して』です。
ゲストは吉永小百合さん!!
進行は鈴木ズン子アナです!絶対にお聴き逃しなく!
http://bit.ly/1m9wLKs


元ちとせさんの最新のアルバム『平和元年』は、7月にリリースされていたようですね(^_^)/
http://music-calendar.jp/folk/2015072201
元ちとせ.JPG
このCDの、題字『平和元年』の文字は、あの吉永小百合さんが書かれているそうです\(◎o◎)/!

元ちとせさんは、奄美大島の島唄の歌手だったことから注目され、現在に至っています。
今も奄美大島の人と結婚され、お子さんもいらっしゃると聞きました。
奄美大島は終戦から8年間、アメリカの 統治下にあり、沖縄と同様ドルを使い、島を出て本土に渡る時はパスポート所持を義務づけられていたそうです。
元ちとせさんは、島の歴史を先人達から聞かされ育っています。
奄美大島のシマ唄を紐解けば、戦前戦中戦後も枠に捉われる事なく自由な歌詞が生まれていた事に驚かされます。
本土の民謡のように、昔の言葉をそのままに歌っているのではないようですね。

今回のアルバムでは、戦後70周年ということで、反戦をテーマにしたような印象があります。

中に、ヒロシマ原爆で死んだ女の子を題材にした『死んだ女の子』が入っています。
(作詞:ナジム・ヒクメット 訳詞:中本信幸 作曲:外山雄三)
2005年、終戦60周年に当たるこの年の8月6日(広島原爆投下の日)、元ちとせさんは坂本龍一さんとともに広島原爆ドーム前でゲリラ的にパフォーマンスを行っています。
詩も曲も、心に響きます・・・・・
『死んだ女の子 Dead Girl』


また、1960年代にアメリカで歌われた、プロテストソングのパイオニア、ピート・シガーの反戦歌
”Waist Deep In The Big Muddy”のカバー曲『腰まで泥だらけ』も、圧巻です!!
『腰まで泥まみれ』

紹介文の文中より
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
原曲発表から48年。時を経ても歌い継がれるこの曲「腰まで泥まみれ」は実に新鮮に辛辣に響く。
この曲の歌詞で歌われている通り「これを聴いて何を思うかはあなたの自由」だ。
中川五郎訳詞のこの歌詞は直訳に近いがまさに今の時代を射る。
それは言霊となって元ちとせの声に乗り今の時代に鋭く突き刺さる。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
原曲の動画はこちら↓
”Waist Deep In The Big Muddy”by Pete Seeger



今、沖縄の辺野古では、毎日抗議行動が行われ、何もしない市民を機動隊が力ずくで引っ張って、時には怪我や骨折をする人もいます(@_@;)
カメラや携帯で撮影していないと分かると、ヘルメットをかぶったまま頭突きをしたり、お年寄りであろうと構わず手荒なことをしています。
抗議をしている人たちは、非暴力に徹しているのに!!
機動隊を動かしているのは、安倍内閣です!!!
沖縄県は、承認していません!!!!!

ゲート前1.JPG

ゲート前2.JPG

ゲート前3.JPG

沖縄まで行けない方、どうぞカンパをお願いします<(_ _)>
http://www.mco.ne.jp/~herikiti/link.html
カンパ振り込み口座 郵便局01700-7-66142ヘリ基地反対協議会 〒905-0015名護市大南1-10-18-202

行ける方は、毎日バスが出ているようです!!
辺野古バス.JPG
画像が見えない方はこちらをどうぞ。
https://www.facebook.com/shimagurumi/photos/pcb.1648879695384535/1648879422051229/?type=3&theater

こちらにもカンパをお願いします<(_ _)>
島ぐるみ会議.JPG
画像が見えない方は、こちらをどうぞ。
https://www.facebook.com/shimagurumi/photos/pcb.1648879695384535/1648879418717896/?type=3&theater

安倍コベ、どこまで汚いのか(@_@;)
それほど、アメリカの奴隷になりたいのか???
米国は、日本を核廃棄物の処分場にしようとしていること、知っているのか???
世界中に55兆円以上をばら撒いても、誰もあんたのことなど、褒めやしないよ<(`^´)>
そもそも、あんたには国民を守る気概など、ゴマ粒ほどもない!!
自分だけ、自分の周りに居る人だけが好かったら、いいのだろう。
こんな奴を、誰が総理大臣などにしたのか???
来年夏の参議院選挙、みなさん、大切ですよ〜\(◎o◎)/!
今の安倍コベ政権・アホノミクスの本性は、下記の図で表しています(^_-)

アホノミクス.JPG


*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*
昨日は、太平洋戦争開戦日と共に、ジョン・レノンの命日でした。
ジョン・レノンの曲で一番好きなのは、『Happy Xmas(War is over)』
しかし、この動画を見ると、視線が心に突き刺さります(@_@;)
「世界の大人たちは、何をしているんだ???」と。。。
涙が止まりません。。。。。
私は、世界平和のために何かしているだろうかと・・・。
最後に、ガンジーの言葉があります。
『目には目をでは、私たちは何も見えなくなる。』
正に、今の世界を表しています!!
何とか少しでも止めるように、ただ祈るだけでなく、何かしなければ・・・・・
せめて基地を造るのを止めている沖縄の辺野古のゲート前に、参加できれば・・・・・

https://www.youtube.com/watch?v=yN4Uu0OlmTg







posted by ボチボチおばさん at 17:38| Comment(0) | 反戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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