2013年12月07日

昔の歌だけど、今、日本語で聞きたい、みんなで歌いたい!!

この頃、この国では、虚しさが込み上げてくることばかりけど、、、でも諦めちゃいけない。
諦めたら、生きる希望が無くなってしまうから。

だから今は、自分の気持ちを立て直すために、静かにこの歌を聞いていようと思います。
「We Shall Overcome 大きな壁が崩れる」by 中川五郎

この歌は、確か、アメリカの公民権運動の時に、たくさんの人が歌い、日本ではジョーン・バエズが歌ったのが流行り、ベトナム戦争反対運動の時には、運動をしている人たちのテーマソングとなったそうです。
We shall overcome.「私たちは、いつかこれを乗り越えるだろう。」

日本でも、60年安保の学生運動の時にみんなで歌ったとか。
昨年、フォーク歌手(団塊世代)の中川五郎さんが、脱原発運動でみんなで歌える歌はないかと考えた時に、「We Shall Overcome」を思い出し、日本語の歌詞をつけたそうです。

ゆっくりとした歌だけど、静かな闘志が湧いてきそうな気がしませんか?
若い人には、ゆっくり過ぎるのかな〜?

中川五郎さんを調べて居たら、下記の歌が見つかりました。
「一台のリヤカーが立ち向かう」

歌詞の中に、上関原発反対運動のこと、公民権運動のこともあります。
じっくり聴いてみてください(^_^)/

中川五郎さんって、「受験生ブルース」を歌っていた人だったのですね。
今、こういうメッセージのある曲を歌う気骨のある歌手って、日本にどのくらい居るんでしょうかね?


昨日、前回に書いた「腐る経済」の著者の田舎のパン屋さん「タルマーリー」のパンが、届きました。
早速食べてみたら、思っていたよりも柔らかいパンが多く、どれもしっとりしています。
とても美味しいですよ〜(^_^)/
なんか体の中から少し元気になりそうな気がします。



posted by ボチボチおばさん at 13:19| Comment(0) | 好きなもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月02日

アーサー・ビナードさん講演会 in うべ を終えて

ご報告が、遅くなりました。
講演会が終わって、お礼の挨拶周りをしていたので。

そうなんです!!
宇部市という中都市で、300人以上の人が集まったのです!!
これは成功と言えるんじゃないでしょうか?
もっとも、宇部市以外から来れた方が、かなりいらっしゃいましたけど。

ビナードさんは、講演会当日4〜5日前から連絡がつかなくて、いつ来られるのか、とてもハラハラ、ドキドキ、心配させられながら、講演会の準備をしていました(-_-;)
お昼過ぎに、新幹線の中からようやく電話があり、お迎えを頼んでいた人に、その時間に改札に迎えに行ってもらうように連絡しました。
そして、開演10分ぐらい前に、ギリギリで、会場に到着されました!!
新幹線の中でも仕事をされていたようで、「これをFAXで送って欲しいんだけど」と、原稿と送り先のメモを渡されました。
どうやら2〜3日、編集者にホテルかどこかに缶詰にされていた様子でした。
本当にお忙しいんだな、よく宇部まで来てくださった、と感謝の気持ちで一杯になりました。

宇部での講演会では、今までとは違った内容で、特にTPPに重点を置いて、話されました。
演題が「日本語に未来はあるのか?」となったことも、納得しました。
この演題には、他の意味もあって、「日本に未来はあるのか?」ととも、私は捉えていましたが、やはりその意味もあり、講演はとても深い内容でした。
今回の講演会で、新しい内容を考えてくださったことに、とても深く感謝し、私と仲間はとても光栄に思いました(*^_^*)
講演の途中に、たびたび笑い声が聞こえ、いつもの、難しいことを分かりやすい言葉で楽しく話されている”ビナード節”が炸裂していることを、私は感じました。

私は会場の中と受付とを、出たり入ったりで、歯抜け状態でしか聞いていませんので、友人がまとめてくれたのが、下記のURLです。
http://ameblo.jp/nabezo33/entry-11562680818.html#main

終りの時間に近づくと、案の定、制御不能状態となり(-_-;)、4回ぐらいカンペを出して、ようやく止めることが出来ました。。。
前夜に仲間と話していた時には、フライパンと金槌でゴングのように、カン、カン、カン、と鳴らすしかないよ!と話していましたが、それはしなくて済みました。
それでも司会者が、「ご本の宣伝はいいですか?」などと言うものだから、また伸びてしまって……。
お陰で、取り寄せた著書は、完売しましたけどね(^_^)v
サイン会が長くなりそうだと思ったので、少な目に注文したので、「もう本はないの?」と、何人かの人に聞かれました。
それに、これだけたくさんの人が来てくれることを予想していなかったので。どうもご免なさい<(_ _)>
サイン会を丁寧に済まされ、私の友人たちは、「いろいろとお話が出来て良かった。」と満足げに帰って行きました。

私は、写真も撮る時間も心の余裕も無くて、皆さんにお見せできないのが、とても残念です。これもご免なさい<(_ _)>

アンケートに、「ビナードさんの話をもっと多くの人に聞かせたい。」というのが数枚ありました。
私も本当にそうだと思います。

その後の交流会でも、ビナードさんは、お疲れも見せず、皆さんとのお話に花が咲いていました。
その時、印象に残ったのは、1年半前に宇部市に来られた時に、詩人の会で講演をされ、その時にお世話をされたご高齢のご夫婦と会えるのを、とても楽しみにされていたことでした。
詩人同士ということもあるけど、前回にそのご主人が入院中だったそうで、とても心配されていたようです。
きっとお父様と同じくらいの年輩の方でしたから、余計に元気になって欲しいと思われたのでは、と思います。
ビナードさんのお父様は、彼が12歳の時に、飛行機事故で亡くなられています。

宇部市内のホテルに泊まられ、翌日は、新山口(小郡)まで、仲間たちが送りました。
その途中で、宇部市西岐波にある、第二次大戦中に落盤事故のあった長生炭鉱のピーヤ(海中に2本、大きな煙突ようなものが突き立っている。空気の換気口だったとか。)を興味深く見られたそうです。
「ピーヤ」とは何語なのか、また「長生の水非常」という言葉に少し違和感を感じられていたとか。

私は、寝過ごして間に合わなかったのと、1台の車に乗れないのが判っていたので、電話でご挨拶しました(-_-;)
今、思えば、やはり私も小郡まで送るべきでした。ビナードさん、ご免なさい<(_ _)>

送ってくれた仲間が、気を利かして、回り道をして秋穂の海岸線を走ったそうです。
秋穂と言えば、海老の養殖が有名ですが、ビナードさんはすかさず「養殖場から脱走した海老を使って料理してくれるところがあったら、良いね。」と言われたとか。ビナードさんらしいな、と思いました。

そして、新山口から広島の廿日市市の会場に向かわれました。
兵庫県西宮市から来た「追っかけ」の方も、また、廿日市市に向かわれました。
この人、廿日市市の後の奈良市まで、追っかけると言われてました(*_*)
とても常識的な方でしたので、多分、新幹線では、ビナードさんと離れて座られたと思います。
ビナードさんは、新幹線の中でも、お仕事をされるので。

この3か月をかけて準備してきたことが、まずまずの成功という形で終えられたことに、感謝を申し上げたいと思います。
どうもありがとうございましたm(_ _)m

今は、終わったばかりで次のことを考えられませんが、アーサー・ビナードさんという凄い天才と、直に接することができ、私はこんなに幸せでいいのだろうか、と思っていますo(^-^)o
どうか、ビナードさんが、変な暴漢に襲われたり、誰かの陰謀で痴漢などに貶められることの無いことを、強く祈っています。

ビナードさんは、神様が送ってくださった、本物の素晴らしい天才です(^_^)/
みなさん、ビナードさんの著書を読んでください<(_ _)>
どれも、丁寧に作られた素晴らしい著作ばかりです。
そして、機会がありましたら、どうぞ講演会に参加して、ビナードさんのお話を聴いてくださいm(_ _)m

そして、参議院選挙前に、脱オタンコナス!、脱アンポンタン!(この言葉を、交流会で私の友人が言ったら、ビナードさんは「それも良いね!」と言われてました。)を目指しましょう〜(^_^)/
*多分、西日本では、「アンポンタン」の方が、聞き慣れていると、私は思います。

私は、ハラハラドキドキさせられ寿命が縮まりましたが(ホンマかいな?)、講演会を終えてもなお、またビナードさんのお話を聴きたいと、強く思います。(これはホント!)

動画を撮りましたが、まだDVDにするかどうか、決めていません。
もしDVDにするときは、またお知らせしますね(^_^)/






posted by ボチボチおばさん at 00:30| Comment(0) | 好きなもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月04日

アーサー・ビナードさんの山口県立大での講演に参加して

ご報告が遅くなり、スミマセン<(_ _)>

私がゴチャゴチャ書くより、私の知人が、3月29日のアーサー・ビナードさんの講演を、ブログに書かれていたので、ご紹介します。(しかもイラスト入り!!)
http://nabezo33.tumblr.com/post/46664749332/130330

付け加えると
Atmic Bomb を、アメリカが、原爆を1945年にヒロシマ、ナガサキと立て続けに落としたのは、アメリカでは戦争を早く終わらせるために仕方なくやったと、中学生の時に学校で聞かれたそうです。
「そうなのか、でも何故2回も立て続けに落としたのか?、と少し疑問に思った。」そうです。しかし、中学生の時はそれ以上、何かしようとは思わなかったそうです。
しかし、今は、広島にしょっちゅう来られて、被爆者に会われたり、原爆資料館などを尋ねられているそうです。
「爆心地で被爆した人は、「ピカドン」とは言わない、「ピカっ」と言われる。
爆心地から少し離れた場所で被爆した人が「ピカドン」という。爆音を聞いているから。」
驚きました!!
日本人でも知らないことを、ビナードさんは、調べていらっしゃいました。

Nuclear Weapon(核兵器)という言葉も、ホワイトハウスから見ている言葉だと言われてました。
だから、アメリカは、平気で劣化ウラン弾をアフガニスタンやイラクに大量に落としたのでしょうか?
今、イラクでは、奇形児の出産や障害児が異常に増えているそうです。
また、イラクからの米軍の帰還兵も、原因不明の病気に悩まされているとか……。

話を元に戻して、
ビナードさんは、真実の言葉とは、生活の中や経験したことの中から生まれる、と言われたかったのでは、と思います。
決して、頭の中や、机の上からは生まれないと。

最後に
「お金は使うとなくなるが、言葉は使うと自分のものになる。」
「言葉を使うときに、自分がどの立ち位置に立って使うのかが重要になる。」
「話す相手も、どの立ち位置に立っているのか。また歴史の中にもペテンがあり、ペテンを見抜くことが、グローバルな人材になるには重要です。」と話されました。
もっとも、ビナードさんは、この「グローバル」という言葉もあまりお好きではないようですが……。

普段、私たちが何気なく使っている言葉も、色んな角度から見てみることで、新しい発見があるかも、と思いました。

しかし、さすが詩人ですね。難しいことをやさしく、ユーモアを交えて楽しく話されました。
ビナードさんの本を、もっとたくさん読みたくなりましたし、もっとお話を聞きたいと思いました。

ビナードさんは、講演会の後のサイン会でも、一人一人の目をじっと見て、誠実に話されていました。
日本女性は、そういう風にじっと見られて話すことに慣れていないので、目の置き所に少し戸惑ってしまいますね(^_^;)

私は知りませんでしたが、ビナードさんはたくさんの絵本を出されているのですね。
一番よく知られているのが、第五福竜丸事件(太平洋で核実験の被害を被った)を題材にした、「ここが家だ」(絵:ベン・シャーン)です。
絵も素晴らしいので、一度ご覧になって見てください。

posted by ボチボチおばさん at 17:32| Comment(0) | 好きなもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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