2017年02月16日

2/18長生炭鉱水没事故75周年 犠牲者追悼集会

今年も、またその時期になりましたね(-_-;)
山口県宇部市西岐波の床波漁港近くにある長生炭鉱追悼広場で、
長生炭鉱水没事故の犠牲者追悼集会が、開催されます。
詳しくは下記のURLをご覧くださいm(__)m
http://www.chouseitankou.com/
韓国より観音宗の僧侶・信者の方々約80名が来日・お祈りをされる予定だそうです。

長生炭鉱追悼集会チラシ2017表.PNG

長生炭鉱追悼集会裏.PNG
(チラシは、上記のURLにありますので、詳しくご覧になりたい方は、そちらをご覧くださいm(__)m)

昨年も韓国からたくさんの僧侶の方が来られ、韓国仏教の追悼の儀式の素晴らしさに感動しました(^^)/
日本とは違い、尼さんが優雅に踊られて、見とれてしまいました。

今年もたくさんの僧侶の方や、そのほかご遺族の方が参加されます。
強制連行されて連れてこられた場所で、過酷な労働を強いられ、水没事故で命まで落とされた朝鮮の人々。
その人々の気持ちを考えると、とても悲しく、何もしない日本政府に強い憤りを感じます!!
水没事故後75年過ぎた今も、一体の遺骨も収拾されていないという、お粗末な日本の現実(@_@;)
本当に悲しいですね。。。。。

海の近くでとても寒いので、参加される方は、体調を整え、暖かい服装でお出かけくださいm(__)m


もう2年半前になりましたが、詩人のアーサー・ビナードさんが、この長生炭鉱水没事故について書かれたエッセイ『非常識?』が下記です。
2年半経っても、あまり変わらない現実、、、日本人はどうして韓国の人々のように、政治に関心を持てないのでしょうか(+_+)

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    『非常識?』
                アーサー・ビナード


 このごろ、地下鉄の駅構内を歩いていて「非常口」と書かれた標識が目に入ると、つい炭鉱のことを思い浮かべる。コンサートホールでオーケストラの演奏に聞き入っていても、ふと「非常口」の誘導灯を見上げれば、一瞬その向こうに坑道の闇が覗けた感覚を味わう。デパートでも飲食店でも近所の郵便局でも、白地に緑色のあの人間が早足に逃げる形の「非常口」のマークに遭遇すれば、ぼくは逃げられなかった坑夫たちのことが想像されてくる。
 日常生活でたびたび見かける「非常」と、日常生活から遠くなった「炭鉱」とが、ぼくの中で強烈につながったのは、山口県の宇部を訪れたときだ。地元の友人の車に乗せてもらい、瀬戸内海の海岸線に沿ってしばらく走り、途中で民家も店もほとんどないところがあった。そしてそこの海から二つの巨大な筒だけがニョキッと突き出ていた。一本は浜辺に近い位置に、もう一本はかなり沖の方に、太さはほぼ同じで、直径二メートルか、三メートルくらいか、いや、もっとあるかも……「あれって、煙突?」とぼくが聞いたら、友人は教えてくれた。「通気口というか排気口というか、炭鉱の用語ではピーヤと呼ばれるもので、その両方で換気をやって、坑内にたまる海水もポンプで汲み上げて排水した」
 車を止めて波打ち際まで下りると、長い年月がピーヤのコンクリートに刻んだ無数の腐食の跡が見え、今でも原形を保っていることが不思議に思えた。「長生炭鉱」という名のもと、ここで本格的な石炭の採掘が始まったのが1932年だという。道路の陸側に坑口があって、そこから瀬戸内海の下をぐんぐん掘り進み、二本のピーヤの延長線上に坑道が遥か沖合へ伸びて、枝分かれしながら広がっていたらしい。
 どんな鉱山でも「落盤」は恐ろしいものだが、海底炭鉱でそれが発生すると最悪の場合、頭上から海底そのものが一気に崩れ落ちて、全てが海に呑み込まれてしまう。宇部の長生炭鉱は1942年2月3日の朝、沖合1キロメートルあたりで崩壊して、働いていた183人の命が奪われた。
 二十一世紀の常識の範囲内で考えると、それは例えば「水没事故」といった表現になるが、長生炭鉱の実態を掘り下げてみると、「事故」の定義とはまったく噛み合わないことがわかる。当時は国家が石炭の増産に力を注ぎ、企業は暴利をむさぼりながら安全性を大胆に軽視していた。いつかは落盤すると想定した上で、それを現場には伝えず、労働者をこき使ってぎりぎりまで採掘させようというのが、どうやら基本方針だったようだ。水没の前兆である漏水は日常茶飯事に起きていたというし、それを無視して作業を強引に続けたし、しかも亡くなった183人のうち、136人が朝鮮半島から連れて来られた労働者だった。
 不慮の事故ではなく計画的な人災だったからこそ、当時の日本語では「事故」とはいわなかったのかもしれない。「長生炭鉱水没事故」と呼ばれれば、下々の人々の思考はつい「事故原因」へ向かってしまう可能性もある。どう転んでも責任追及にはつながらない、だれのせいでもないイメージを醸し出す表現が採用され、正式名称は「水非常」となった。
 実は山口県に限らず九州でも北海道でも、炭夫たちが犠牲になる爆発や水没を「非常」と呼んでいた。ガスによるものを「ガス非常」といったり、何百人も死亡した場合は「大非常」といったりした。瀬戸内海が流れ込んだ長生炭鉱の坑道には、今も183の遺体がそのままになっている。その放置の浜辺に立ってぼくは「水非常」を覚え、国語辞典にも載っていないこの日本語は、だいぶ月日が過ぎても心から去っていかない。責任というものを考える上で、重要なキーワードなんじゃないかと、次第に感じるようにもなった。

 思い起こせば「長生炭鉱水非常」から三年半が経って、日本政府が1945年8月15日に発表した「終戦の詔書」の中でも、同じ「非常」が重要な役割を果たしていた。
 「朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セシムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク」
 失敗も誤算も虚偽も落ち度すら触れずに、「帝国ノ現状」の具体的な問題に一切言及しない文脈で、綱渡りよろしくどうにか「告ク」までたどり着けたのは、ひとえに「非常ノ措置」の曖昧さのおかげだ。なんとも重宝する言葉であり、しかも多用された時代が忘れられようとしているので、ほとぼりはもう醒めているといえる。となれば、ひょっとしてこれから権力者と企業に「非常」がふたたびキーワードとして、採用されるのか。
 2011年から始まった原子炉のメルトダウンの対応を検証すれば、言葉のまやかしは明らかにその方向に進んでいることがわかる。そもそも日本国民に核分裂をエネルギーとして売り込み始めたとき、「安全性」を異常なまでに強調した。なぜなら、本当は安全ではない猛毒と破壊力の集合体だからだ。でも「原子力安全委員会」だの「原子力安全・保安院」だの、PRキャンペーンを担う組織の正式名称にまで「安全」を盛り込んだので、のちに福島第一原子力発電所が大破した際、政府はそれを「原発事故」と称して、いくらかの矛盾も認めざるを得なかった。
 ただし、責任は認めなかったのだ。そして「新基準」という新たなPRキャンペーンが開始されて巧妙に勧められ、いつの間にか「安全」という単語が、原子力行政からピンポイントで摘出された。今後は「原子力規制委員会」が、原発の自然災害対策などが新基準を満たしているかどうか判断して、再稼働のために必要なお墨付きを与える。しかし原発が安全か否かについては、触れないつもりらしい。
 鹿児島県の川内原子力発電所の合格に関しては、原子力規制委員会の田中俊一委員長は七月中旬、記者会見でこう述べた。「安全だということは、私は申し上げません。再稼働の判断には関わりません」
 同じ原発の合格について質問を受けた日本政府のスポークスマン、菅義偉官房長官はこう答えた。「原発の安全性は規制委員会に委ねている。個々の再稼働は事業者の判断で決めることだ」
 つまり正式には、法的には、だれひとり「安全」だとはいわないので、再稼働のあと、またもや制御不能に陥ったとしても、明確な矛盾はないのだ。責任を問わない、この言葉の流れの延長線上にあるのは、「原発事故」の改名ではないかと思う。少なくとも、次回は相当の工夫がその呼び名に加えられるだろう。もしかして「原発非常」とくるのか、いや、名称に「原発」もいれないほうがもっと責任逃れしやすくなるので、炭鉱用語にならって「津波非常」や「地震非常」、それから薩摩川内がメルトダウンをきたした場合、「火山非常」と呼ぶのかも……。
 ペテンの技術は脈々と受け継がれて、二十一世紀の権力者と企業は、ちゃんと歴史から学んでいることは確実だ。ならば、ペテンを浴びせられる下々のぼくらも、必死に言葉の護身術を身に付けなければ、いつまで経ってもエジキにされるだけ。終戦記念日を待たずに「終戦の詔書」を読み直すのもいい。人災の悪循環から抜け出る非常口を、切り開きたいものだ。

DSCF1441.JPG

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posted by ボチボチおばさん at 11:50| Comment(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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