2014年08月09日

浦上天主堂(長崎)の真実

今日は長崎ピカドンの日、です。
午前11時02分でした。

ところで、今、長崎に行くと、浦上天主堂は観光地の一つになっています。
今の浦上天主堂.JPG

しかし、浦上天主堂は、長崎原爆のほぼ爆心地でした。

被曝直後の浦上天主堂付近の写真
浦上天主堂2−1.JPG

浦上天主堂3−1.JPG

浦上天主堂4.JPG

しかし、アメリカにとっては、キリスト教会に原爆を落としたことが、とても都合が悪かった(アメリカはキリスト教信者が多いので)ので、どうにかしてその証拠を消したかったようです。

ウキペディアより
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原爆遺構の撤去[編集]

1.浦上小教区の信徒で編成された「浦上天主堂再建委員会」は現地に再建を決定、信徒からの浄財及び寄付金によって再築計画を明らかにする。その動きを覚知した原爆資料保存委員会は、1958年(昭和33年)に『旧天主堂は貴重な被爆資料である故に遺構を保存したいので、再建には代替地を準備する』と提案した。しかし、当時のカトリック長崎司教・山口愛次郎は、『天主堂の立地には、江戸時代のキリスト教迫害時代の由緒ある土地を明治時代に労苦を重ねて入手したという歴史的な背景があり、保存委員会の意向は重々理解できるが移転は信仰上到底受け入れることはできない』という意思を決定した(浦上教会公式サイトにも同様の経過が記載されている)。

2.当時の長崎市長・田川務は、米国セントポール市との姉妹都市締結を機に今後の日米関係など政治的背景を重視し、1958年の市議会で「原爆の必要性の可否について国際世論は二分されており、天主堂の廃墟が平和を守る唯一不可欠のものとは思えない。多額の市費を投じてまで残すつもりはない」と答弁し、議会決定に反して撤去を決定した。

被害当事者である浦上教会と、結果的にアメリカへの配慮を優先した田川市長の意向が共に破壊撤去を選択したため、旧天主堂の廃墟は撤去されることになった。一部の遺構は保存されたとはいえ、広島県広島市の『原爆ドーム』(旧広島県産業奨励館)の様に爆心地付近の惨状をありのままの姿で後世に伝えることが出来る遺物を残さなかったこと、また原爆ドームが史跡やユネスコの世界遺産に登録されたこと等から、取り壊されたことを惜しむ声も未だに多い。ただし、浦上教会信徒会館2階には再建時に発掘・収集された被爆物(溶けた聖母像や聖杯・ロザリオなど)を展示する資料室を併設しており、自由に見学が出来る。
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確かに、戦争を早く止めようとしなかった日本も愚かだとは思うけど、こんなに酷い被害を被っているのに、それでもなお「アメリカに配慮」しなければいけなかった、そこまでどうして卑下しなければいけないのか?、と私は思います。
日本人独特の「おもいやり」ということですかね???

あのまま、被曝した浦上天主堂を爆心地として残して欲しかった、と、ボチボチおばさんは思います。
いかに、プルトニウム爆弾の威力がすごいものかを、後世に残すことが出来たのに……。
いかに、アメリカが酷いことをしたかを、残すことが出来たのに……。


やはり、今も、日本は、アメリカの植民地状態のような気が、私はします。
米軍基地は減ることなく、沖縄も相変わらずで、オスプレイは押しつけられ、それでもNOを言えない。
アメリカに、「米軍基地の土地を返してもらえないでしょうか?」と、なぜ言えないんですかね?
日本は、憲法9条があるのだから、もう戦争はしないと言っているのですからね!!

まだ、戦後は続いています。
平和と見えたのは、幻に過ぎません。
今の日本の現状を、まっさらな目で見つめ、私たち市民がどういう行動を取ったらいいのか、よ〜く考えましょう(^_^)/


追記
後日判ったのですが、『浦上天主堂の真実』について、もっと詳しく書かれた記事があり、また本も出ていました。
1945年8月9日の爆撃長崎 キリスト教会と国家についての歓迎されざる真実
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/194589-7f2a.html
『ナガサキ消えたもう一つの「原爆ドーム」』
http://honto.jp/netstore/pd-book_25710317.html

どうぞ、ご参考になさってください<(_ _)>



posted by ボチボチおばさん at 09:59| Comment(0) | 反核 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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