2015年12月26日

沖縄・辺野古滞在記 Part1

12月16〜19日に、沖縄の辺野古ゲート前抗議行動に参加するため、沖縄に行ってきました\(◎o◎)/!
(友達を数人誘ったけど、突然だったのと、12月はみなさん忙しいようでした(-_-;))
なぜそこまでするのかというと、辺野古が埋め立てられてしまえば、上関原発も造られてしまう!!という強い危機感があるからです(~_~;)
なぜ今なのかというと、来月になればもっと寒くなるので、2匹の猫たちが気になるからです(^_^;)

かなり早くから航空便を予約しておくと、とても安くなるようですし、レンタカーもネット予約すると安くなります。
沖縄は鉄道がないので、レンタカー会社がとても多く、空港まで迎えに来てくれます。

事前にキャンプシュワブのゲート前で活動しているFBF(Facebook・Friend)と連絡を取って、民宿も紹介してもらっていたので、それほどの不安もなく、沖縄に行くことが出来ました。

16日午後に、那覇空港に到着し、本当はその日の内に行きたい所がありましたが、レンタカーを借りるまで説明が長く、行きたい場所に向かっていた道中で、時間的に無理だと諦め、辺野古へ向かいました。
事前には軽車を注文していましたが、軽車の空きがなかったようで、普通車の小さめの車でした(料金は軽車と同じ)ので、高速では、結構スピードを出して、一路、辺野古へ向かいました。

辺野古に夜に着いたので、場所だけは確認しなければとゲート前に行きました。
ゲート前で常駐している人にお話を聞いて、車の駐車場も確認しました。
夜はとても静かで、警備員がいるだけでした。
テントの方には、常駐している人が一人(テントの中で寝るとのこと)と後は新聞社の方が3〜4人いました。
IMG_0048.JPG

IMG_0061.JPG

IMG_0050.JPG

IMG_0049.JPG

なんたって初めての沖縄、しかも一人でレンタカーの運転(ナビ操作もほとんど初心者)ときて、民宿にたどり着けるかどうか心配でしたが、民宿の周りにはお店もないと聞いていたので、途中で見つけた道の駅でお弁当(これは美味しかった)を買って、どうにかこうにか民宿にたどり着きました。

民宿(ドミトリー)たどり着くと、女性は私一人で、後は男性陣4〜5人が、鍋料理を食べた後でした。
みなさん、奈良県や鳥取県、関東などから来られていて、長期間、抗議行動に参加されている方も居ました。
どうやらその宿は、抗議行動に参加する人の定宿のようでした。
私が、山口県から来て上関原発計画の反対運動に参加していると話すと、みなさん、辺野古も上関原発も同じだね、と言われました!!
私は2段ベッドが3台(全部で6台)ある部屋に一人、寝ました。(個室を希望していたので、そこしか空いていなかったようです。)疲れていたのに、緊張であまり眠れませんでした。

翌朝、5時には起きたのですが、トイレ・洗面が共用で順番待ちがあったりと、スムーズに行きませんでした。朝ごはんだけは食べなくてはと、かき込みました。
車に乗れば、前日、夜に走った道で方向が判らず、ナビに那覇方面の場所を適当に入れ、調べ直したりして時間を取られました。
また車の駐車場から300mぐらい歩く時間も計算に入れてなくて、6時10分頃にたどりついたら、薄暗い中、既に多くの人が集まっていました。
ゲート前に常駐しているFBFにはまだあえず、昨晩話した人に、山口のお土産をみなさんで召し上がってくださいと、渡しました。

沖縄は、山口より気温が高く、私は過ごしやすかったけれど、
朝6時なので、ライナー付きコートを着て、雨が降りそうなので、その上から雨カッパも着て、ちょうど良いぐらいでした。もちろん、帽子も被り、薄手の手袋もしていました。
沖縄の人々は、「今日は寒い」と言われていました。
私は寒いというより、ちょうど心地よい気温だと思ったのだけれど。。。
やはり沖縄は、とても暖かい所なんだと、改めて実感しました!!

蓑笠を被ったオジサンが、『今日も怪我することなく、気を付けて頑張ろう!』と言われてました。
ゲート前に座り込む人と、その前でプラカードを持って抗議する人とに分かれて、私はゲート前に行きました。

ゲート前に行くと、既にアルソックの警備員が7〜8人、ゲート前に立ちはだかっていました。
↓こんな真っ暗なうちから、毎朝(日曜日を除く毎日)、みなさん、集まっているのです(@_@;)
IMG_0065.JPG

その前に集合すると、怪我をしてはいけないので、そこで出来る柔軟体操をしようと言われ、簡単な柔軟体操をしました。
小さな折り畳みの椅子も配られ、雨が降るので、みなさんが用意していたテントを手早く組み立てられました。
それから、いつも動画で見ている山城ヒロジさんが来られ、今の状況を説明され、この日は沖縄各地から団体で80人が来ると言われていました。(総勢150人くらいだったそうです。)
ヒロジさんと、動画でいつも見ていたヤスさんが来られ、みんなで『座り込めここへ』や『沖縄を返せ』を歌い、連帯感を高めました。
IMG_0070.JPG
しかし、周りを見渡すと私よりも年上の人がほとんどで、みなさん、お体は大丈夫なんだろうかと少し心配になりました。
そこでようやく、ゲート前で常駐しているFBFにようやく会うことができ、ご挨拶をしました(^_^)/

そうこうする内に、目の前に機動隊が並び、まず、さっき組み立てたテントを壊し始めました。
そして一人一人を『ごぼう抜き』にかかりました。
みんなで「憲法を守れ」「暴力反対」「辺野古を埋めるな」などと叫びました!!
さっき隣同士で会ったばかりですが、少しでも時間稼ぎをしようと隣同士で腕を組んだり、前の人の肩を押さえたりしました。
しかし、相手はまだ20〜30代の、しかも常日頃訓練をしている若者たちです。凄い力であまり声も上げずに、排除していきます。
私は座っている椅子(かえって力が入らなかった)が邪魔で除けたいと思った隙に、持ち上げられました。
あまり抵抗をして腕や足ひねられては嫌だと思ったのですが、「暴力反対」と叫び、またお気に入りの帽子(こんな時には被らない方がいい!)どこかにいったのが判ったので「帽子を返せ〜!」と叫びました。
そしたら機動隊員が帽子を探して、持ってきました(^_^;)

(初日は、写真を撮る精神的ゆとりは、全くありませんでした。)

柵に囲まれた中に運び込まれ、そこから出ていかないように機動隊が見張っているのですが、そこからもプラカードを持って大声で「東京の機動隊は帰れ!」と叫びました。
また、目の前に立っている機動隊員たちに、
「自分たちのしていることが、戦争に加担することになること、判ってるの?」と何度も聞きました。
ほとんど無視されてましたが、中にはキョトンとした顔(このオバサン、なに言ってんの?という顔)の人もいて、「機動隊員は、個人的に何も考えていないんだな」と感じました。


中にはその柵の下からスルリと出ていき、機動隊の車の下に潜り込んでいる人もいました。
そうこうする内に、大きなゲート前の方に機動隊員が集まったので、みんなもそちらに行きました。
IMG_0076.JPG

山城ヒロジさんが、ゲートの中の機動隊員に向け「ウチナンチュの機動隊員の中には、毎日、心で泣いている奴もいるだろう。自分の家族に手を上げているようなものだからな。そういうヤツは、僕に連絡して、機密情報を教えてくれ!!いつでもこちらで守ってやる。携帯番号は090-・・・・・・・」と話されるものだから、みんなから笑い声が漏れてきました(^_-)
IMG_0092.JPG

そんなどさくさの中で、山城ヒロジさんに近づくことができたので、
「山口県から来ました。上関原発の反対運動に参加しています。」と言ったら、直ぐに
「山口県でそんな運動をするのは、大変でしょうね?」と気遣ってくださいました(^_^)/
きっと、直ぐに安倍シンゾーのことを思い浮かべられたのだと思います。
私は、その時はヒロジさんの思いやりに気が付かず、
「仲間内ではワイワイとやっていますが、なかなか人が増えないのが悩みの種です。
それよりも、ヒロジさんのお体がとても心配です。どうぞ、お大事にされてください。」と答えました。
(今年春にガンの手術をされています(-_-;))

直ぐに相手のことを気遣うヒロジさん、とても思いやりのある優しい方です(^_^)/
みんなには、「みんな、あまり熱くならず、冷静に対処しようね!」と言いながら、ご自分は、機動隊に対しとても攻撃的にガンガンと責め、熱くなるヒロジさん(^_^;)
とても気骨がありユーモアたっぷりのヒロジさんがいなくては、沖縄の闘いは進まないし、闘えないと、強く感じました\(◎o◎)/!


私は、朝、ご飯を食べただけで、小さなお茶は持っていたけど、叫び続けてのどがカラカラになり、旅行前から睡眠不足だったので少しめまいがしてきました。
これから沖縄県警の拘束されている人たちを励ましに行くと言われましたが、申し訳ないけど休みたいと、宿に帰り、休みました。

宿に帰って少し休みましたが、時間がもったいないと起き上がり、この日はドキュメンタリー映画『標的の村』で有名な「高江」に行こうと車を出しました。
しかし、よく考えるとお昼ご飯を食べていなかったので、民宿の近くにある『道の駅』のようなところのレストランに入ったら、沖縄料理のメニューがたくさんありました。
早速、一番食べたかった「ソーキそば」を注文しました。
きて見てビックリ、スペアリブを煮込んだ大きな肉の塊が3個もうどん(そばといって麺が太かった。写真を撮るべきだった!)の上に乗っかっていて、それに紅ショウガがたくさんのっていました!!
とても美味しかったので、完食しました(^_^;)

それから高江の方向に向かいました。
山の中を走るのかと思ったら、海岸線をず〜っと走り、沖縄本島特有の景色が見えました。
IMG_0093.JPG

道路はとても立派なのですが、対向車が数えられるぐらいしか走っていません。
米軍基地があるので、沖縄県には今まで多くの振興金が出ているので、道路はとても立派なんだな、と思いました。
車で1時間以上走り、山の中に入り、ようやく高江のテントに到着しました。
そこの直ぐ近くは、米軍の演習地域で、ヘリコプターが停まる場所「ヘリパッド」が今の所2か所あり、時々オスプレイも来るそうです(@_@;)
米軍の予定では6か所作る予定ですが、それを進めないために、24時間交代で、座り込みをされています。

IMG_0102.JPG

IMG_0105.JPG

少し道なりに登っていくと、『やんばるの森』が見えるところに出ました。
最初、私は木々が枯れかかっているのかと思ったら、亜熱帯特有の「いたじ」またの名を「ブロッコリーの木」というそうで、枝の先にしか葉が付かない木だそうです。
IMG_0100.JPG
道路のすぐ下の崖では、そのいたじが何本か倒れていました。
テントに常駐している人が教えてくださいましたが、こうやって森の中に道ができ(振興金で道が造られているそうです。)またヘリパッドではヘリコプターの風が凄いので、下の地面の乾燥が起きていて(元々湿地帯だそうです)、地面が崩れているのだそうです。
特別記念物のヤンバルクイナも時々鳴いている森は、だんだん崩れようとしているのが、現状のようです(-_-;)
辺野古の海と同様に、「やんばるの森」も守らなければいけませんね!(^^)!

そこから、引き返す方向で少し走っていたら、左側の路肩に迷彩色の軍服とヘルメットを被った米兵が2人、ヒョコっと出てきました。
ここは軍事訓練場所なんだと、その時、強く認識しました(@_@;)

もしそこで鉄砲の弾が飛んできたらと思うと、背筋が寒くなりました(-_-メ)
日常生活をしている場所に、突然、戦闘服を着た兵士が現れ、平気に活動している。。。。。
それが沖縄の日常のようです(~_~;)

そこから民宿方面へ引き換えし、沖縄本島の反対側、大宜味村にある沖縄独特の芭蕉布を作っている『芭蕉布会館』という所があるというので、そちらを目指しました。
今度は、東シナ海側に出て、思っていたより波が高いのに驚きましたが、とてもきれいな海でした(^_^)/
IMG_0107.JPG

芭蕉布会館にたどり着いたのが、閉館10分前でしたが、受付の人は愛想よく迎えてくださいました。
2階で、染め物と織物の作業をされていましたが、みなさん黙々とされているし、声もあまりかけないようにと書かれているので、黙って見て階下に下りました。
階下で芭蕉布ができるまでのビデオを見せて頂き、あれほど根気のいる作業を黙々として、出来た作品は質素だけど、とても美しい布で、とても高価になる理由が判りました。
昔の沖縄の人々が着ていた、うす黄土色に茶色や藍染めの絣のある、あの布です。
夏はとても涼しいそうです。
アジアにケナフとか似た布はありますが、きめの細かさ、精密さは、沖縄の芭蕉布が一番だそうです!!
芭蕉布の製品は高価で買えないので、フィリピン製のケナフで作った名刺入れが手頃な値段だったので、自分のために買いました。

芭蕉布会館から降りたところに、沖縄の古民家らしき建物があり、どうやら焼き物を販売している所のようなので、中へ入っていきましたが、誰も人がいなくて、展示もあまりされていないので、写真だけ撮って帰りました。
門構え
IMG_0109.JPG
古民家
IMG_0108.JPG

辺野古の近くにはお店があまりないですが、ゲート前から少し行ったところで大浦湾へ右に曲がってしばらく行くと、お昼にソーキソバを食べた道の駅があります。(名前は忘れました。)
そこは19時頃までは営業しているようでしたが、それに気づかず、コンビニの弁当を名護市内で買って帰ったら、とても不味く、2〜3口食べて、これ以上食べると気持ち悪くなると思い、もったいないですが、捨てました。多分、添加物がたくさん使ってあるのでしょう(-_-メ)
やはり宿泊する宿の近くの食堂や弁当屋さんは、事前にチェックしておいた方が良いと思いました!(夕食が付きの宿は大丈夫ですが。)

2日目の夜は、この日に石川県から原付バイクでフェリーで来られた元漁師さんが、民宿に来られていました。
正月過ぎまで滞在すると言われてました。
民宿では、抗議活動に参加している人がほとんどなので、どうしても政治の話になります。
私は平和主義者なので、憲法9条を守り、コスタリカのように軍隊のない国を目指すのが一番だと話しました。
そうすれば、軍事費に回すお金を、福祉や教育に使えるからと話しました。
それに賛同してくれた京都から来た青年が一人、穏やかな笑顔を浮かべていました。
皆さん、それぞれに思いがあり、話が盛り上がりました。
が、私はとても眠かったので、早々に引き揚げ、シャワーも浴びず、早めに寝ました。


《追 記》
この日、抗議行動の後に、テントで常駐している、昨晩お会いしたSさんに名刺を渡そうとしたら、名刺入れが無いことに気が付きました。
いつも入れているバッグのファスナーが開いていたので、どこかで落としたのかも、と言ったら、Sさんが「届け出があったら保管しますよ」と言われたので、私の携帯番号とこのブログの『ボチボチ生きましょう〜』を書いて渡しました。
その直後に、Sさんにとんでもないことが起きようとは、この時は想像できませんでした(~_~;)私はその現場を見ていないのだけれど・・・・・
Sさんは、この直後に、警察と一悶着あったようで、沖縄県警に拘束されたそうです(@_@;)
私が思うに、理性的な人だったので暴力をふるうようなことは、多分されていないと思います。
いつもゲート前テントに寝泊まりされているようだったので、警察にとっては煙たい存在だったのでしょう。沖縄県警は何かあったら捕まえてやろうと狙っていたのでは、と私は思います。
Sさんは拘束されるのは、これで2回目だそうです。
辺野古ゲート前で抗議活動をしている人たちは、いつ逮捕されるか判らない恐怖を抱えながら、抗議活動をされています。。。。。
私のようにたった2〜3日参加したぐらいで、しかも暴力も振るわなければ、決して逮捕されることはありません。その代り、口で抗議し、1秒でもゲートにトラックを搬入させないための時間稼ぎをするのです。
Sさん、もう解放されたでしょうか?心配だな(-_-;)

帰り道の途中で、朝、座り込んだゲート前に車から降りて(その真向いはまだ機動隊が見張っていましたが)、「黒い安っぽい名刺入れがあったら、携帯番号が書いてあるので電話してください。」と話したら、近づいてきた中年の男性が「Uの民宿に居る人だね?見つかったら知らせてあげるよ。」と言われました。
その人の顔を見て、典型的な沖縄の人の顔だなと思ったけど、どこかで見たことがある人だな、と思いました。
昨日、ドキュメンタリー映画『戦場ぬ止み』(三上智恵監督)を再度見て、その中に登場しておられた、渡具知さんだと判りました!!
この10年間、毎週土曜日夕方に、ご家族で辺野古基地建設反対を訴えて、ゲート前で行動されている方です(^_^)/
みなさんの、忍耐強い努力に、本当に頭が下がりますm(_ _)m

名刺入れは、朝、民宿で出会った人に名刺を渡して、そのまま部屋に忘れていました(^_^;)

Part2につづく。













posted by ボチボチおばさん at 14:14| Comment(0) | 反戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。