2015年12月28日

沖縄・辺野古滞在記 Part2

そもそも、今回の旅行での第一の目的は、辺野古での抗議行動に参加することでした。
また、『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること』矢部宏治著を参考に、米軍基地が沖縄に人々の生活に与えている影響を感じたい、というのもありました。
さらに、沖縄に行くのは初めてだったので、第2次大戦中にあった沖縄戦について知るため糸満市にある平和祈念公園は、絶対に行きたい!と思っていました。

今日は、辺野古のゲート前の抗議行動が終わったら、沖縄県南部に向かう予定にしました。
19日朝も抗議行動に参加したかったのですが、レンタカーを19日の午前10:30までに返さなければいけなかったので、時間的に無理でしたので。

そして、3日目の朝は、熟睡したお陰で、朝4時半頃にスッキリと起きました。
もう起きている人もいましたが、トイレは空いていて、スムーズにトイレ・洗顔をすることができました。
前夜に買ったサンドウィッチを食べ、ゲート前に行きました。
この日も朝は寒かったので、車に雨合羽を忘れそうになり、取りに引き返しましたが。

ゲート前で、昨日、私が帰った後に、テントに常駐されているSさんが拘束されたことを聞きました。
今もまだ、釈放されていないそうです(~_~;)

ゲート前で朝のミーティングをして、ゲート前に前日のように行きました。
そこで軽い柔軟体操をし(これはとても重要です!)、折りたたみ椅子が配られて、『座り込めここへ』『沖縄 今こそ立ち上がろう』『沖縄を返せ』の歌を歌いました。
これらの歌を歌うと、元気が湧いてくるし、連帯感も高まります(^_^)/

《ゲート前応援歌》
『座り込めここへ』 『沖縄 今こそ立ち上がろう』(32秒あたりから)

@ 座り込めここへ、ここへ座り込め
腕組んでここへ、ここへ座り込め
揺さぶられ潰された隊列を立て直す
ときは今
腕組んでここへ、ここへ座り込め
A 座り込めここへ、ここへ座り込め
歌うたいここへ、ここへ座り込め
揺さぶられ潰された団結を立て直す
ときは今
歌うたいここへ、ここへ座り込め
B 座り込めここへ、ここへ座り込め
旗掲げここへ、ここへ座り込め
引きずられ倒れても進むべき道を行く
ときは今
旗掲げここへ、ここへ座り込め

『沖縄 今こそ立ち上がろう』 作詞 山城博治
@沖縄の道は沖縄が拓く 戦世を拒み平和に生きるため。
 今こそ立ち上がろう。今こそ奮い立とう。
A辺野古の海を守り抜くために 圧政迫るが立ち止まりはしない。
 今こそ立ち上がろう。今こそ奮い立とう。
B高江の森を守り抜くために 力を合わせてスクラム固めよう。
 今こそ立ち上がろう。今こそ奮い立とう。
C島々の暮らしを守り抜くために 思い巡らせて心通わそう。
 今こそ立ち上がろう。今こそ奮い立とう。

『沖縄をかえせ』

@固き土を破りて 民族の怒りに燃える島 沖縄よ
 我等と我等の祖先が 血と汗をもて
 守り育てた 沖縄よ
 我等は叫ぶ沖縄よ 我等のものだ沖縄は
 沖縄を返せ 【返せ】 沖縄に返せ
A 固き土を破りて 民族の怒りに燃える島 沖縄よ
 我等と我等の祖先が血と汗をもて
 守り育てた 沖縄よ
 我等は叫ぶ沖縄よ 我等のものだ沖縄は
 沖縄を返せ 【返せ】 沖縄に返せ

《ゲート前抗議行動》
今日また帽子が無くなったら嫌なので、帽子はバックに入れて、コートのフードを深く被りました!
前夜の民宿でのみなさんの話で、どのような動きをしたら怪我するリスクが少なく機動隊員に負担がかかるかを聞きました。
体重の重いのが一番いいのですが、そんなに体重はないので、とにかく自分の力を抜きダラーとしたら、抱える方に負担がかかると言われました。今日はそれを試そうと思いました。
例によって、機動隊がやって来て、『ごぼう抜き』を始めました。
前日の教訓があるので、折りたたみ椅子は早めに畳んでその上に座りました。
今日は少し気持ちのゆとりがあり、写真を撮ることができました。
と言っても、手が震えてピンボケが多いのですが(^_^;)

IMG_0126.JPG

IMG_0128.JPG

IMG_0133.JPG

私も「憲法守れ」「暴力反対」と言っている内に、ごぼう抜きされました(-_-;)
しかし、とにかく力を抜くことに集中しました。
「離せ〜!」と叫んだら一瞬、力が緩みました。
機動隊員が「歩いてください」と言って、地面に私を落としました。
こちらは1秒でも時間稼ぎをしたいので、何もしないでその場に寝ていたら、仕方なく運びました(^_-)
しかし、やはり全員が運ばれ、トラック数台(荷台にコンクリートの壁のようなものを積んでいた)が中に入って行きました(-_-メ)

その後、今日は、なぜか機動隊員が向かい側に整列して立っていました。
IMG_0141.JPG

私たちはまたゲート前に戻り、その時に、私より先にゲート前に行ったFBF(FBのお友達)に紹介されていた女性を見つけました!(写真を見ていたので)
前日は家の都合で来れなかったそうで、そこで挨拶をしました。
確か沖縄県南部から頻繁に来られているようでした。(朝6時に間に合わせてくるのは、とても大変だと思います。)
こんなことがなければ、普通の奥様で通りそうな人ですが、ガンガン野次を飛ばされていました!
私が昨日帽子を無くし機動隊員が持って来てくれたので、それだけは感謝していると話すと、こんなことをしなければ帽子を無くすこともないのだから、感謝する必要は全くない!!と言われ、それもそうだな、と納得しました(^_^;)
またゲート前に並んでいると、向かい側の崖から機動隊員が写真を撮っているので、数人が「勝手に写真を撮るな!」と叫びました。

《ゲート前学習会》
こちらでは、山城ヒロジさんが、現状を説明しはじめました。(全部をメモした訳ではないのですが)
「さっき運んだコンクリートの壁は、仲井真(前知事)が湾岸道路建設を許可したので、湾岸を埋め立てるためのコンクリートの擁壁を搬入した。
辺野古湾岸には、遺跡も見つかり、また第二次大戦の時に亡くなった人の遺骨もまだ収集されないで土の中にに埋まっている。その上を埋め立てて工事をするんだ!!
今、名護署に拘束されている北海道の人(77歳)の拘留を引き延ばしている。その人が機動隊員の足を蹴ったといって全治2週間と診断書を出したのに、その機動隊員は翌日からゲート前にで仕事をしている。全くのでっち上げだ!!
辺野古埋立工事は、必要な手続きを踏んでいない。
仲井真は、辺野古の岩礁破砕許可を出しているので、海岸の岩が破壊される。
翁長知事が、埋立承認の取消を出しているにもかかわらず、岩礁破砕工事をしている。
自然は一度壊したら、元には戻らない。辺野古の海にとても申し訳ない。」

また別の地元の人が、警備にあたっているアルソックについて説明しました。
「アルソックは、今年7月末から3月末までの警備を、約20億円で落札している。
1日辺り約800万円。今、そこで警備をしているあんた方(アルソックの警備員を指さして)、会社がこれだけ儲けて、あんた方は、1日いくらもらっているの?今すぐにに労組を作って会社に抗議しなさい!私がいろいろ教えてあげる!
海上の警備は、1日1700万円。
辺野古埋立工事の警備費に42億円が使われている。
埋立本体工事、ボーリング調査も終わっていないのに、既に3〜4割が大手ゼネコンに支払われている。
工事費がドンドン増額されている。
またアルソックは、談合しているのか、いつも落札価格の99%の金額を提示して、落札している。」

このような話をゲート前で椅子に座って聞いていたら、やたらと機動隊員が、みんなが座っている後ろを出入りするので、
「こっちは、勉強会をしているのに、チョロチョロ、出入りするな!」とみんなが言い出して、通路を塞ぎました。
今回は、機動隊員をみんなで止めることができました(^_^)/

しかし、相変わらず、向かい側では、機動隊員たちが立っていました。
IMG_0143.JPG

確か、東京から呼んだ機動隊員にかかる費用も一日1200万円(リゾートホテルに泊まらせているとか)だと聞いています。(東京機動隊は、確か20日頃に帰りました。しかし年明けには全国から精鋭の機動隊員を連れてくるかもしれないと、噂されています。)
こんなことに、私たちの税金を無駄遣いしないで欲しい!!と思います。
国民は辺野古の埋立に反対の人が多いし、誰も機動隊まで呼んでくれとは、頼んでいません!!!
私は、機動隊員に向かっても、「他にすることはないの?税金の無駄遣いだ!!」「私たちの血税をかえせ!!」とも叫びました\(-o-)/

《島袋文子おばぁ》
しばらくすると、島袋文子おばぁ(確か84歳)が、杖をついて来られました。(毎日ではないけど、頻繁に来られるようです。)
沖縄戦で、大火傷を負いながら、夜中に命からがら飲んだ水が、朝になって見たら、血の混じった泥水だったそうです。
だから文子おばぁは、『辺野古を埋め立てるというのなら、血の混じった泥水をすすってから、言ってごらん!!』と言われています。
夏には、ゲート前で機動隊に引っ張られて倒れられ、病院に運ばれたとか。
膝が悪く、杖をついても、ゲート前の抗議行動に参加されています。
IMG_0144.JPG
私は挨拶をしましたが、お顔を見るなり涙声になってしまって、文子おばぁは、きっと驚かれたことでしょう(^_^;)

テント前には辺野古抗議活動の写真などが展示されています。
IMG_0146.JPG

昨晩、民宿で一緒だった京都から来た青年Tさんから、一緒に那覇まで連れて行って欲しいと言われたのと、また、この日は絶対に『平和祈念公園』(県南部、糸満市)に行きたかったので、後ろ髪を引かれる思いをしながら、ゲート前を後にしました。
よく聞くと、Tさんは私より前日に来られていたようです。
Tさんは、辺野古の海の自然にとても興味があると言われ、道の駅で『大浦湾の生き物たち』の本を買われていました。
また、京都で、世界平和を願い訴える活動をする団体『Earth Caravan』に、ボランティアとして活動しているそうです。
お若いのにとても気が付く優しい青年でした(^_^)/

民宿に帰って荷物をまとめ、民宿の飼い犬グナァーにもお別れの挨拶をして、一路、『道の駅かでな』に向かいました。
途中で、この旅で初めて、日が照ってきました。初日からず〜っと曇りでしたので。
12月だというのに、本土で感じる初夏のような日差しで、少し暑くなって来ました。
Tさんと「12月に来て良かったね、真夏に来たら、暑くて熱中症になるところだったね。」と話しました。
Tさんも「僕も、この日差しでは、夏は来れないですね。」と話していました。
しかし、よく考えると、その真夏の暑い日差しの中で、アスファルトの上に座って、沖縄のみなさんは抗議行動をされているのですね!!!
どんなに、どんなに暑いことでしょうか(@_@;)

《嘉手納基地》
『道の駅かでな』の3階から、嘉手納基地が見えます。
この日はあまり戦闘機は飛んでいませんでした。
IMG_0149.JPG

手前で、地元の人の畑が広がっているのが、とても対照的!!
IMG_0152.JPG

「道の駅かでな」の前には、基地の爆音を計る装置が置かれていました。(この日はあまり戦闘機が飛んでいなかったので、低かったです。)
IMG_0157.JPG

道の駅で、一緒にランチを食べ、いよいよ『平和祈念公園』(「平和の礎」がある所)へ向かいました。
途中で、さとうきび畑がたくさん見えたので、Tさんが「ざわわの世界ですね!」と写真を撮っていました。
まだ20代の青年なので、「『さとうきび畑』を知っているの?」と聞くと、「知っていますよ!」と答えました。本当は、私も見たかったけど、時間が気になるので、写真も撮らずに運転を続けました。
Tさんも沖縄は初めてのようでしたが、行きたいのは斎場御嶽(せーふぁーうたぎ 県南東部)だけで、それ以外は予定が無く、またそれは明日でもいいと言われました。
私が「日本人なら、平和祈念公園は、沖縄の歴史も判るし、平和の礎もあるので、是非、行った方がいいよ!」と勧めると、一緒に行ってみたい、と言われました。

若いTさんが、色々と話した時に、ふと「希望が欲しいです。」と言われたのが、とても印象的でした。
今の世の中、若い人にとっては、本当に希望のない話ばかりですね(-_-;)
どうしてこうなったのか、私たち中年はシッカリと反省しなければ。。。。。
政治にあまりに無関心すぎた、そのツケが今、来ているような気がします(~_~;)

《平和祈念公園》
平和祈念公園は、とても広く、公園の中に沖縄県平和祈念資料館や「平和の礎」(沖縄戦で亡くなった方のお名前が刻んである石板が波模様に立ち並んでいる)、また各県の墓苑、式典を行う広場、沖縄平和祈念堂、また普通に遊べる広場などがあります。
全部を見ていたら時間が足りないので、まずは沖縄県平和祈念資料館に行きました。
沖縄の歴史や、沖縄戦で使われた日用品や、またガマ(小さな穴倉。そこにみんな避難して暮らしていたようです。)が再現され、どのように暮らしていたのかが判るようになっていました。
沖縄戦で亡くなった遺体の写真などもあり、とてもショックでしたが、戦争の真実を知るためには良かったと思います。
また、戦後に生き残った人々が書いた沖縄戦の様子も、見やすく配置されていました。
軍人だけでなく多くの民間人が巻き込まれた戦争でした。
また戦前の教育で、どうしても兵隊さんのいうことを聞かなければいけなかったことが、とても被害を大きくしたように、私は思います。
自害しないで投降していたら、もっと多くの人が助かっていたのではと思うのですが。。。。。
沖縄自体は、昔は「琉球国」という独立国だったのを、江戸時代に薩摩藩が無理やり併合したのだとか。
元々はとても平和な島で、台湾や中国との交流もあり交易の中心となっていたようです。
沖縄が、もし日本の中に入っていなかったら、どうなっていたのだろう、と少し思いました。

祈念資料館で、どこからきたのか、高校生の団体と一緒になりました。修学旅行で来ていたようでした。
さすがに大きな声を出して騒ぐこともなく、割と静かに見ていました。
私は、ここを旅行コースに選んだ先生方は、とても素晴らしい!と思いました。
きっと、ここを見て、高校生たちは何かを感じてくれたと思います。
少なくとも「戦争」を好きになった高校生は、いなかったと思います。
この子たちが戦争に巻き込まれることが絶対に無いように、と願って止みません!!!
祈念資料館から見た「平和の広場」と「平和の礎」
IMG_0161.JPG

記念資料館を出て、「平和の礎」の方へ移動しました。
本当にたくさんの方が亡くなられていて、たいへん驚きます。。。。。
中には、今日置かれたのではと思われる小さな花束もあり、まだご遺族が通われているのだな、と思いました。
IMG_0165.JPG

IMG_0168.JPG

最後に、平和の礎の前で、二人で手を合わせて拝みました。
みなさんの多大な犠牲の上に、今、私たちはこうやって平和に暮らすことができているのです。
どうもありがとうございます!
そして、二度と、同じことを繰り返しません!!!


公園はとても広く、亜熱帯特有のがじゅまるの木がたくさん植えられていました。
私の勧めもあって平和祈念公園にきたTさんに、どうでしたか?と聞くと、「沖縄の悲しい歴史を知ることができて、良かった。」と話していました。
若い人は沖縄戦のことは、あまりご存知ではないようですね(^_^;)
日本の若者たちよ、日本の負の歴史もシッカリと学びたまえ!!

ホテルが那覇市内だったので、那覇に向かいました。
那覇市は大都会でした。
Tさんは私がチャンとホテルにたどり着けるかどうか気遣って、私のホテルをシッカリと探してくれました!!
(ナビは、小さなホテルは、近くまでしか出ませんので。)
Tさんも近くのホテルをスマホで予約していて、FBでまたお話ができるので、「じゃ、また!」と言って、私のホテルの前で別れました。
小さなホテルでしたが、小奇麗でこじんまりとして、那覇のど真ん中なのに割に静かで、私は気に入りました!
ホテルに入って、しばらくボーっとしていましたが、せっかくだから最後に沖縄料理が食べたい!!と思い、
フロントに下りて、「沖縄料理の美味しいお店が近くにありますか?」と聞いたら、すぐ近くにありますよ、と教えてくれました。

《沖縄料理》
『まんじゅまい』という、ライブで沖縄民謡の演奏もあるところでした。私が行った時は、今終わったと言われましたが。
早速、「まんじゅまい」(実はパパイヤの意味)チャンプルーで、お味噌汁付きの定食にしてもらいました。お味噌汁も、沖縄独特のお豆腐が使われていて、とても美味しかった!まんじゅまいに使ったパパイヤは、青い時のを使うので、甘くありませんでした。
そこで、昼間一緒だったTさんが、「沖縄に来てあまり美味しいものを食べていない。」と話していたのを思い出し、携帯に電話しました。
私は、その間に、へちまチャンプルーも注文しました。
10分ぐらいでTさんが来て、壁に書かれているメニューを見て、どれも美味しそうですね!と喜ばれていました。
若い人らしく、タコメシ(実はメキシコ料理のタコスをパンで包むのではなく、ご飯に具をのせたもの)とテビチ汁(豚肉の軟骨を柔らかく茹でたのが入ってました。その他、レタスや大根など。上におろしショウガがのってます。)をたのんで、とても美味しい、美味しいと、感激していました!!沖縄特産の海ぶどうも食べました!もちろん、私もお裾分けして頂きました!
やはり沖縄料理は、食材も豊富で、とても美味しく、面白かった(^_^)/(写真を撮るのを忘れてました(^_^;))
Tさんとは、じゃ、またね!とそこで別れました。

《帰途》
翌朝は、8時前には起きて朝食を食べ(朝食付きで6000円)、那覇市の一番の繁華街「国際通り」を少し歩き、魔よけのシーサーとお湯呑みを買いました。急いで帰り、車にガソリンを入れてレンタカーを返しに行き、空港まで送ってもらいました。
空港では、安いスカイマークの受付はとても判りにくい所にあり(料金で差別している!)、どうにか探して、ダンナへのお土産も買って、飛行機に乗りました。
帰りの飛行機から見た沖縄の海もとても綺麗でした(^_^)/
IMG_0182.JPG

今回の旅では、元ちとせさんの『平和元年』をラジオサーバーポケットに録音して、ず〜っと聞いていました。
元ちとせさんの声も、中の曲も沖縄にはとても似合っていました(^_^)/
元ちとせさんは、今、沖縄に住まわれているそうです。


都合が付いたら、辺野古へ、是非、また行きたいと思います\(◎o◎)/!
今度は辺野古の海をシッカリと見てみたいと思います(^_^)/


《次回に行きたい所》
私は行けなかったけれど、『佐喜眞美術館』には、沖縄戦の様子を描いた丸木位里・敏夫妻の日本画『沖縄戦の図』が常設されています。http://sakima.jp/?page_id=31
また、国指定重要文化財の『中村家住宅』という沖縄の古民家を開放して見せている所もあるようです。
http://www.nakamura-ke.net/
次回には、この2か所は必ず行きたいです!!

《来年しなければいけない事》
辺野古新基地建設を止めるには、来年夏の参議院選挙で、自公政権を引き摺り下ろさなければ、止まりません!!!
また、山口県の上関原発計画も、このままでは建設される可能性が高いです(-_-;)
その選挙で、もし自公が勝ったら、戦前の大日本帝国憲法とあまり変わらない「自民党憲法改革草案」を通し、日本の民主主義は死んでしまいます(T_T)
来年の参議院選挙(衆議院も同時になるかも)、戦後で一番重要な選挙になります!!!
気概を持って、取りかかりましょう\(◎o◎)/!
みなさんも、お忙しいでしょうが、応援したい候補者がいたら、合間を見つけて応援活動に参加してください。
どうぞ、よろしくお願い致しますm(_ _)m


posted by ボチボチおばさん at 23:50| Comment(0) | 反戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月26日

沖縄・辺野古滞在記 Part1

12月16〜19日に、沖縄の辺野古ゲート前抗議行動に参加するため、沖縄に行ってきました\(◎o◎)/!
(友達を数人誘ったけど、突然だったのと、12月はみなさん忙しいようでした(-_-;))
なぜそこまでするのかというと、辺野古が埋め立てられてしまえば、上関原発も造られてしまう!!という強い危機感があるからです(~_~;)
なぜ今なのかというと、来月になればもっと寒くなるので、2匹の猫たちが気になるからです(^_^;)

かなり早くから航空便を予約しておくと、とても安くなるようですし、レンタカーもネット予約すると安くなります。
沖縄は鉄道がないので、レンタカー会社がとても多く、空港まで迎えに来てくれます。

事前にキャンプシュワブのゲート前で活動しているFBF(Facebook・Friend)と連絡を取って、民宿も紹介してもらっていたので、それほどの不安もなく、沖縄に行くことが出来ました。

16日午後に、那覇空港に到着し、本当はその日の内に行きたい所がありましたが、レンタカーを借りるまで説明が長く、行きたい場所に向かっていた道中で、時間的に無理だと諦め、辺野古へ向かいました。
事前には軽車を注文していましたが、軽車の空きがなかったようで、普通車の小さめの車でした(料金は軽車と同じ)ので、高速では、結構スピードを出して、一路、辺野古へ向かいました。

辺野古に夜に着いたので、場所だけは確認しなければとゲート前に行きました。
ゲート前で常駐している人にお話を聞いて、車の駐車場も確認しました。
夜はとても静かで、警備員がいるだけでした。
テントの方には、常駐している人が一人(テントの中で寝るとのこと)と後は新聞社の方が3〜4人いました。
IMG_0048.JPG

IMG_0061.JPG

IMG_0050.JPG

IMG_0049.JPG

なんたって初めての沖縄、しかも一人でレンタカーの運転(ナビ操作もほとんど初心者)ときて、民宿にたどり着けるかどうか心配でしたが、民宿の周りにはお店もないと聞いていたので、途中で見つけた道の駅でお弁当(これは美味しかった)を買って、どうにかこうにか民宿にたどり着きました。

民宿(ドミトリー)たどり着くと、女性は私一人で、後は男性陣4〜5人が、鍋料理を食べた後でした。
みなさん、奈良県や鳥取県、関東などから来られていて、長期間、抗議行動に参加されている方も居ました。
どうやらその宿は、抗議行動に参加する人の定宿のようでした。
私が、山口県から来て上関原発計画の反対運動に参加していると話すと、みなさん、辺野古も上関原発も同じだね、と言われました!!
私は2段ベッドが3台(全部で6台)ある部屋に一人、寝ました。(個室を希望していたので、そこしか空いていなかったようです。)疲れていたのに、緊張であまり眠れませんでした。

翌朝、5時には起きたのですが、トイレ・洗面が共用で順番待ちがあったりと、スムーズに行きませんでした。朝ごはんだけは食べなくてはと、かき込みました。
車に乗れば、前日、夜に走った道で方向が判らず、ナビに那覇方面の場所を適当に入れ、調べ直したりして時間を取られました。
また車の駐車場から300mぐらい歩く時間も計算に入れてなくて、6時10分頃にたどりついたら、薄暗い中、既に多くの人が集まっていました。
ゲート前に常駐しているFBFにはまだあえず、昨晩話した人に、山口のお土産をみなさんで召し上がってくださいと、渡しました。

沖縄は、山口より気温が高く、私は過ごしやすかったけれど、
朝6時なので、ライナー付きコートを着て、雨が降りそうなので、その上から雨カッパも着て、ちょうど良いぐらいでした。もちろん、帽子も被り、薄手の手袋もしていました。
沖縄の人々は、「今日は寒い」と言われていました。
私は寒いというより、ちょうど心地よい気温だと思ったのだけれど。。。
やはり沖縄は、とても暖かい所なんだと、改めて実感しました!!

蓑笠を被ったオジサンが、『今日も怪我することなく、気を付けて頑張ろう!』と言われてました。
ゲート前に座り込む人と、その前でプラカードを持って抗議する人とに分かれて、私はゲート前に行きました。

ゲート前に行くと、既にアルソックの警備員が7〜8人、ゲート前に立ちはだかっていました。
↓こんな真っ暗なうちから、毎朝(日曜日を除く毎日)、みなさん、集まっているのです(@_@;)
IMG_0065.JPG

その前に集合すると、怪我をしてはいけないので、そこで出来る柔軟体操をしようと言われ、簡単な柔軟体操をしました。
小さな折り畳みの椅子も配られ、雨が降るので、みなさんが用意していたテントを手早く組み立てられました。
それから、いつも動画で見ている山城ヒロジさんが来られ、今の状況を説明され、この日は沖縄各地から団体で80人が来ると言われていました。(総勢150人くらいだったそうです。)
ヒロジさんと、動画でいつも見ていたヤスさんが来られ、みんなで『座り込めここへ』や『沖縄を返せ』を歌い、連帯感を高めました。
IMG_0070.JPG
しかし、周りを見渡すと私よりも年上の人がほとんどで、みなさん、お体は大丈夫なんだろうかと少し心配になりました。
そこでようやく、ゲート前で常駐しているFBFにようやく会うことができ、ご挨拶をしました(^_^)/

そうこうする内に、目の前に機動隊が並び、まず、さっき組み立てたテントを壊し始めました。
そして一人一人を『ごぼう抜き』にかかりました。
みんなで「憲法を守れ」「暴力反対」「辺野古を埋めるな」などと叫びました!!
さっき隣同士で会ったばかりですが、少しでも時間稼ぎをしようと隣同士で腕を組んだり、前の人の肩を押さえたりしました。
しかし、相手はまだ20〜30代の、しかも常日頃訓練をしている若者たちです。凄い力であまり声も上げずに、排除していきます。
私は座っている椅子(かえって力が入らなかった)が邪魔で除けたいと思った隙に、持ち上げられました。
あまり抵抗をして腕や足ひねられては嫌だと思ったのですが、「暴力反対」と叫び、またお気に入りの帽子(こんな時には被らない方がいい!)どこかにいったのが判ったので「帽子を返せ〜!」と叫びました。
そしたら機動隊員が帽子を探して、持ってきました(^_^;)

(初日は、写真を撮る精神的ゆとりは、全くありませんでした。)

柵に囲まれた中に運び込まれ、そこから出ていかないように機動隊が見張っているのですが、そこからもプラカードを持って大声で「東京の機動隊は帰れ!」と叫びました。
また、目の前に立っている機動隊員たちに、
「自分たちのしていることが、戦争に加担することになること、判ってるの?」と何度も聞きました。
ほとんど無視されてましたが、中にはキョトンとした顔(このオバサン、なに言ってんの?という顔)の人もいて、「機動隊員は、個人的に何も考えていないんだな」と感じました。


中にはその柵の下からスルリと出ていき、機動隊の車の下に潜り込んでいる人もいました。
そうこうする内に、大きなゲート前の方に機動隊員が集まったので、みんなもそちらに行きました。
IMG_0076.JPG

山城ヒロジさんが、ゲートの中の機動隊員に向け「ウチナンチュの機動隊員の中には、毎日、心で泣いている奴もいるだろう。自分の家族に手を上げているようなものだからな。そういうヤツは、僕に連絡して、機密情報を教えてくれ!!いつでもこちらで守ってやる。携帯番号は090-・・・・・・・」と話されるものだから、みんなから笑い声が漏れてきました(^_-)
IMG_0092.JPG

そんなどさくさの中で、山城ヒロジさんに近づくことができたので、
「山口県から来ました。上関原発の反対運動に参加しています。」と言ったら、直ぐに
「山口県でそんな運動をするのは、大変でしょうね?」と気遣ってくださいました(^_^)/
きっと、直ぐに安倍シンゾーのことを思い浮かべられたのだと思います。
私は、その時はヒロジさんの思いやりに気が付かず、
「仲間内ではワイワイとやっていますが、なかなか人が増えないのが悩みの種です。
それよりも、ヒロジさんのお体がとても心配です。どうぞ、お大事にされてください。」と答えました。
(今年春にガンの手術をされています(-_-;))

直ぐに相手のことを気遣うヒロジさん、とても思いやりのある優しい方です(^_^)/
みんなには、「みんな、あまり熱くならず、冷静に対処しようね!」と言いながら、ご自分は、機動隊に対しとても攻撃的にガンガンと責め、熱くなるヒロジさん(^_^;)
とても気骨がありユーモアたっぷりのヒロジさんがいなくては、沖縄の闘いは進まないし、闘えないと、強く感じました\(◎o◎)/!


私は、朝、ご飯を食べただけで、小さなお茶は持っていたけど、叫び続けてのどがカラカラになり、旅行前から睡眠不足だったので少しめまいがしてきました。
これから沖縄県警の拘束されている人たちを励ましに行くと言われましたが、申し訳ないけど休みたいと、宿に帰り、休みました。

宿に帰って少し休みましたが、時間がもったいないと起き上がり、この日はドキュメンタリー映画『標的の村』で有名な「高江」に行こうと車を出しました。
しかし、よく考えるとお昼ご飯を食べていなかったので、民宿の近くにある『道の駅』のようなところのレストランに入ったら、沖縄料理のメニューがたくさんありました。
早速、一番食べたかった「ソーキそば」を注文しました。
きて見てビックリ、スペアリブを煮込んだ大きな肉の塊が3個もうどん(そばといって麺が太かった。写真を撮るべきだった!)の上に乗っかっていて、それに紅ショウガがたくさんのっていました!!
とても美味しかったので、完食しました(^_^;)

それから高江の方向に向かいました。
山の中を走るのかと思ったら、海岸線をず〜っと走り、沖縄本島特有の景色が見えました。
IMG_0093.JPG

道路はとても立派なのですが、対向車が数えられるぐらいしか走っていません。
米軍基地があるので、沖縄県には今まで多くの振興金が出ているので、道路はとても立派なんだな、と思いました。
車で1時間以上走り、山の中に入り、ようやく高江のテントに到着しました。
そこの直ぐ近くは、米軍の演習地域で、ヘリコプターが停まる場所「ヘリパッド」が今の所2か所あり、時々オスプレイも来るそうです(@_@;)
米軍の予定では6か所作る予定ですが、それを進めないために、24時間交代で、座り込みをされています。

IMG_0102.JPG

IMG_0105.JPG

少し道なりに登っていくと、『やんばるの森』が見えるところに出ました。
最初、私は木々が枯れかかっているのかと思ったら、亜熱帯特有の「いたじ」またの名を「ブロッコリーの木」というそうで、枝の先にしか葉が付かない木だそうです。
IMG_0100.JPG
道路のすぐ下の崖では、そのいたじが何本か倒れていました。
テントに常駐している人が教えてくださいましたが、こうやって森の中に道ができ(振興金で道が造られているそうです。)またヘリパッドではヘリコプターの風が凄いので、下の地面の乾燥が起きていて(元々湿地帯だそうです)、地面が崩れているのだそうです。
特別記念物のヤンバルクイナも時々鳴いている森は、だんだん崩れようとしているのが、現状のようです(-_-;)
辺野古の海と同様に、「やんばるの森」も守らなければいけませんね!(^^)!

そこから、引き返す方向で少し走っていたら、左側の路肩に迷彩色の軍服とヘルメットを被った米兵が2人、ヒョコっと出てきました。
ここは軍事訓練場所なんだと、その時、強く認識しました(@_@;)

もしそこで鉄砲の弾が飛んできたらと思うと、背筋が寒くなりました(-_-メ)
日常生活をしている場所に、突然、戦闘服を着た兵士が現れ、平気に活動している。。。。。
それが沖縄の日常のようです(~_~;)

そこから民宿方面へ引き換えし、沖縄本島の反対側、大宜味村にある沖縄独特の芭蕉布を作っている『芭蕉布会館』という所があるというので、そちらを目指しました。
今度は、東シナ海側に出て、思っていたより波が高いのに驚きましたが、とてもきれいな海でした(^_^)/
IMG_0107.JPG

芭蕉布会館にたどり着いたのが、閉館10分前でしたが、受付の人は愛想よく迎えてくださいました。
2階で、染め物と織物の作業をされていましたが、みなさん黙々とされているし、声もあまりかけないようにと書かれているので、黙って見て階下に下りました。
階下で芭蕉布ができるまでのビデオを見せて頂き、あれほど根気のいる作業を黙々として、出来た作品は質素だけど、とても美しい布で、とても高価になる理由が判りました。
昔の沖縄の人々が着ていた、うす黄土色に茶色や藍染めの絣のある、あの布です。
夏はとても涼しいそうです。
アジアにケナフとか似た布はありますが、きめの細かさ、精密さは、沖縄の芭蕉布が一番だそうです!!
芭蕉布の製品は高価で買えないので、フィリピン製のケナフで作った名刺入れが手頃な値段だったので、自分のために買いました。

芭蕉布会館から降りたところに、沖縄の古民家らしき建物があり、どうやら焼き物を販売している所のようなので、中へ入っていきましたが、誰も人がいなくて、展示もあまりされていないので、写真だけ撮って帰りました。
門構え
IMG_0109.JPG
古民家
IMG_0108.JPG

辺野古の近くにはお店があまりないですが、ゲート前から少し行ったところで大浦湾へ右に曲がってしばらく行くと、お昼にソーキソバを食べた道の駅があります。(名前は忘れました。)
そこは19時頃までは営業しているようでしたが、それに気づかず、コンビニの弁当を名護市内で買って帰ったら、とても不味く、2〜3口食べて、これ以上食べると気持ち悪くなると思い、もったいないですが、捨てました。多分、添加物がたくさん使ってあるのでしょう(-_-メ)
やはり宿泊する宿の近くの食堂や弁当屋さんは、事前にチェックしておいた方が良いと思いました!(夕食が付きの宿は大丈夫ですが。)

2日目の夜は、この日に石川県から原付バイクでフェリーで来られた元漁師さんが、民宿に来られていました。
正月過ぎまで滞在すると言われてました。
民宿では、抗議活動に参加している人がほとんどなので、どうしても政治の話になります。
私は平和主義者なので、憲法9条を守り、コスタリカのように軍隊のない国を目指すのが一番だと話しました。
そうすれば、軍事費に回すお金を、福祉や教育に使えるからと話しました。
それに賛同してくれた京都から来た青年が一人、穏やかな笑顔を浮かべていました。
皆さん、それぞれに思いがあり、話が盛り上がりました。
が、私はとても眠かったので、早々に引き揚げ、シャワーも浴びず、早めに寝ました。


《追 記》
この日、抗議行動の後に、テントで常駐している、昨晩お会いしたSさんに名刺を渡そうとしたら、名刺入れが無いことに気が付きました。
いつも入れているバッグのファスナーが開いていたので、どこかで落としたのかも、と言ったら、Sさんが「届け出があったら保管しますよ」と言われたので、私の携帯番号とこのブログの『ボチボチ生きましょう〜』を書いて渡しました。
その直後に、Sさんにとんでもないことが起きようとは、この時は想像できませんでした(~_~;)私はその現場を見ていないのだけれど・・・・・
Sさんは、この直後に、警察と一悶着あったようで、沖縄県警に拘束されたそうです(@_@;)
私が思うに、理性的な人だったので暴力をふるうようなことは、多分されていないと思います。
いつもゲート前テントに寝泊まりされているようだったので、警察にとっては煙たい存在だったのでしょう。沖縄県警は何かあったら捕まえてやろうと狙っていたのでは、と私は思います。
Sさんは拘束されるのは、これで2回目だそうです。
辺野古ゲート前で抗議活動をしている人たちは、いつ逮捕されるか判らない恐怖を抱えながら、抗議活動をされています。。。。。
私のようにたった2〜3日参加したぐらいで、しかも暴力も振るわなければ、決して逮捕されることはありません。その代り、口で抗議し、1秒でもゲートにトラックを搬入させないための時間稼ぎをするのです。
Sさん、もう解放されたでしょうか?心配だな(-_-;)

帰り道の途中で、朝、座り込んだゲート前に車から降りて(その真向いはまだ機動隊が見張っていましたが)、「黒い安っぽい名刺入れがあったら、携帯番号が書いてあるので電話してください。」と話したら、近づいてきた中年の男性が「Uの民宿に居る人だね?見つかったら知らせてあげるよ。」と言われました。
その人の顔を見て、典型的な沖縄の人の顔だなと思ったけど、どこかで見たことがある人だな、と思いました。
昨日、ドキュメンタリー映画『戦場ぬ止み』(三上智恵監督)を再度見て、その中に登場しておられた、渡具知さんだと判りました!!
この10年間、毎週土曜日夕方に、ご家族で辺野古基地建設反対を訴えて、ゲート前で行動されている方です(^_^)/
みなさんの、忍耐強い努力に、本当に頭が下がりますm(_ _)m

名刺入れは、朝、民宿で出会った人に名刺を渡して、そのまま部屋に忘れていました(^_^;)

Part2につづく。













posted by ボチボチおばさん at 14:14| Comment(0) | 反戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月15日

上関原発建設、密かにじわじわと進められている(@_@;)

上関原発が、今の調子では出来ないだろうと楽観していらっしゃる山口県民は、かなり多いと思います。
しかし、中国電力は、密かににじわじわと、いつでも上関原発建設工事に着工できるように、下準備を進めています(@_@;)
下記のURLには、その密かに工事が進められている証拠写真があります!!
http://blog.konaka.sunnyday.jp/?eid=341

《引用》
平成27年12月9日上関町四代港で『中電上関』『環境調査中』と書かれた旗をつけて漁船2隻(写真)に調査員らしき人が乗船して、荒れている外海へと四代港(原発建設予定地に一番近い港)を出港した。
15.12.12中電、上関で調査.JPG

《引用》
上関町のすぐ前にある柳井市平郡島の企業には、原発予定地のケーソン(埋立用周辺の外壁)数十メートルにもおよぶコンクリートの壁(写真)がすでに完成し、いつでも知事の埋立許可さえ出れば、予定地までいつでも移動できる準備を整えている。
柳井市平群島ケーソン.JPG




安倍コベが、『GO!』という指令を出したら、いつでも着工できるように、準備を進めているのです(~_~;)
まるでこの曲のようです!!
『腰まで泥まみれ』元ちとせ



さぁ、私たちは、泥にまみれて全員が溺れる前に、バカが叫ぶ『進め〜!』を止めなければいけません!!
そうするには、来年夏の参議院選挙で、自民党・公明党を潰すしかありません!!!
どうか、野党が協力して、その協力した野党を、みんなで応援しましょう\(◎o◎)/!
でないと、上関原発は出来てしまいますよ(ー_ー)!!
日本が泥にまみれて溺れ死ぬ前に、アメリカのロボットの手から、私たちの日本を取り戻しましょう〜!!!

また、3月26日(土)に開催される『上関原発を建てさせない山口県民大集会』に、
上関原発建設に反対する全てのみなさん、集まりましょう〜\(◎o◎)/!!
http://blog.goo.ne.jp/nonukes2013/e/d9a9a1f433b94d6e061036775481726e



posted by ボチボチおばさん at 10:32| Comment(0) | 脱原発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。