2015年01月30日

1月31日、長生炭鉱水没事故73周年犠牲者追悼集会

私が、今、住んでいる山口県宇部市は、昔はただののんびりとした農業と漁業だけの村だったそうです。
大正時代に石炭層があることが判り、石炭を掘りだすために全国から多くの人々が集まりました。
そして、戦争中には、若者や働き盛りの人たちは兵士として借り出され、それを埋めるように、朝鮮半島から多くの朝鮮の人々が強制的に連れて来られました。

宇部市西岐波の長生炭鉱は、炭鉱としては危険性が高いことが判っていたので、大きな会社は手を出しませんでした。
石炭層が、地下30メートル付近と浅く、落盤の可能性がとても高かったからです。
しかし、戦争中で物資が足りない中、どうしても石炭が必要で、そういう危険な炭鉱に、朝鮮人労働者の人々がたくさん連れて来られました。
彼らは自分の意志で来たのではなく強制的に連れて来られ(中には甘い言葉に騙され来た人もいたかもしれませんが)、しかも逃げられないように、日常的に管理されていました。
そして戦争中の1942年2月3日に、沖合、1kmの所で、水没事故(水非常)は起きました。
183名の鉱夫たちが亡くなり、うち136名が朝鮮人労働者の人々でした。
犠牲者のご遺体は、1体も引き上げられることなく、現在に至っています。

そして、この度、73回目の犠牲者追悼式が、1月31日(土)に行われます。
お近くの方、この事故を今まで知らなかった方、どなたでも参加できます。
どうぞ、ご参加ください。
第一部:追悼式 11:00〜12:00 
    場所:追悼広場(西岐波)
     参列家族によるチェサ(朝鮮式法事)
第二部:講演会 13:30〜16:30 
    場所:ヒストリア宇部
    講師:塩川正隆さん  NPO法人 戦没者追悼と平和の会理事長

*塩川さんについて
 1977年2月、沖縄戦で亡くなった父親の最期の場所を訪ねたことをきっかけに、アジア・太平洋戦争の戦没者の遺体(遺骨)や遺品を遺族のもとに届ける活動を行う。以来訪沖は、37年100回を超える。
1996年7月フィリピン・レイテ島発訪問、以来19年、訪比は50回を超える。
2002年、NPO法人戦没者を慰霊し平和を守る会(現戦没者追悼と平和の会)設立。現在理事長。

問合せ:「統制炭鉱の水非常を歴史に刻む会」事務局 緑橋教会 TEL0836-21-8003
http://www.chouseitankou.com/

昨年夏に、アーサー・ビナードさんは、この長生炭鉱の水没事故があった場所を訪問され、丹念に視察されました。
詩人であるビナードさんにとっては、長生炭鉱の『水非常』という言葉が、とても不自然で気になると話され、山口市に来られるお仕事の合間に、訪ねて来られました。
これは、このブログにも詳細に書きましたね。
http://botibotiikokaaa.seesaa.net/article/402161027.html

そのすぐ後に、ビナードさんは、長生炭鉱についてエッセイを書かれ、月刊誌『うえの8月号』(関東地方で販売)に掲載されました。
この度、「長生炭鉱水没事故73周年犠牲者追悼式」につき、そのエッセイを、ここに掲載させて頂きます。
ビナードさんから許可は、シッカリ頂いていますよ(^_^)v
ピーヤ
DSCF1441.JPG

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      『非常識?』
                                アーサー・ビナード


 このごろ、地下鉄の駅構内を歩いていて「非常口」と書かれた標識が目に入ると、つい炭鉱のことを思い浮かべる。コンサートホールでオーケストラの演奏に聞き入っていても、ふと「非常口」の誘導灯を見上げれば、一瞬その向こうに坑道の闇が覗けた感覚を味わう。デパートでも飲食店でも近所の郵便局でも、白地に緑色のあの人間が早足に逃げる形の「非常口」のマークに遭遇すれば、ぼくは逃げられなかった坑夫たちのことが想像されてくる。
 日常生活でたびたび見かける「非常」と、日常生活から遠くなった「炭鉱」とが、ぼくの中で強烈につながったのは、山口県の宇部を訪れたときだ。地元の友人の車に乗せてもらい、瀬戸内海の海岸線に沿ってしばらく走り、途中で民家も店もほとんどないところがあった。そしてそこの海から二つの巨大な筒だけがニョキッと突き出ていた。一本は浜辺に近い位置に、もう一本はかなり沖の方に、太さはほぼ同じで、直径二メートルか、三メートルくらいか、いや、もっとあるかも……「あれって、煙突?」とぼくが聞いたら、友人は教えてくれた。「通気口というか排気口というか、炭鉱の用語ではピーヤと呼ばれるもので、その両方で換気をやって、坑内にたまる海水もポンプで汲み上げて排水した」
 車を止めて波打ち際まで下りると、長い年月がピーヤのコンクリートに刻んだ無数の腐食の跡が見え、今でも原形を保っていることが不思議に思えた。「長生炭鉱」という名のもと、ここで本格的な石炭の採掘が始まったのが1932年だという。道路の陸側に坑口があって、そこから瀬戸内海の下をぐんぐん掘り進み、二本のピーヤの延長線上に坑道が遥か沖合へ伸びて、枝分かれしながら広がっていたらしい。
 どんな鉱山でも「落盤」は恐ろしいものだが、海底炭鉱でそれが発生すると最悪の場合、頭上から海底そのものが一気に崩れ落ちて、全てが海に呑み込まれてしまう。宇部の長生炭鉱は1942年2月3日の朝、沖合1キロメートルあたりで崩壊して、働いていた183人の命が奪われた。
 二十一世紀の常識の範囲内で考えると、それは例えば「水没事故」といった表現になるが、長生炭鉱の実態を掘り下げてみると、「事故」の定義とはまったく噛み合わないことがわかる。当時は国家が石炭の増産に力を注ぎ、企業は暴利をむさぼりながら安全性を大胆に軽視していた。いつかは落盤すると想定した上で、それを現場には伝えず、労働者をこき使ってぎりぎりまで採掘させようというのが、どうやら基本方針だったようだ。水没の前兆である漏水は日常茶飯事に起きていたというし、それを無視して作業を強引に続けたし、しかも亡くなった183人のうち、136人が朝鮮半島から連れて来られた労働者だった。
 不慮の事故ではなく計画的な人災だったからこそ、当時の日本語では「事故」とはいわなかったのかもしれない。「長生炭鉱水没事故」と呼ばれれば、下々の人々の思考はつい「事故原因」へ向かってしまう可能性もある。どう転んでも責任追及にはつながらない、だれのせいでもないイメージを醸し出す表現が採用され、正式名称は「水非常」となった。
 実は山口県に限らず九州でも北海道でも、炭夫たちが犠牲になる爆発や水没を「非常」と呼んでいた。ガスによるものを「ガス非常」といったり、何百人も死亡した場合は「大非常」といったりした。瀬戸内海が流れ込んだ長生炭鉱の坑道には、今も183の遺体がそのままになっている。その放置の浜辺に立ってぼくは「水非常」を覚え、国語辞典にも載っていないこの日本語は、だいぶ月日が過ぎても心から去っていかない。責任というものを考える上で、重要なキーワードなんじゃないかと、次第に感じるようにもなった。

 思い起こせば「長生炭鉱水非常」から三年半が経って、日本政府が1945年8月15日に発表した「終戦の詔書」の中でも、同じ「非常」が重要な役割を果たしていた。
 「朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セシムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク」
 失敗も誤算も虚偽も落ち度すら触れずに、「帝国ノ現状」の具体的な問題に一切言及しない文脈で、綱渡りよろしくどうにか「告ク」までたどり着けたのは、ひとえに「非常ノ措置」の曖昧さのおかげだ。なんとも重宝する言葉であり、しかも多用された時代が忘れられようとしているので、ほとぼりはもう醒めているといえる。となれば、ひょっとしてこれから権力者と企業に「非常」がふたたびキーワードとして、採用されるのか。
 2011年から始まった原子炉のメルトダウンの対応を検証すれば、言葉のまやかしは明らかにその方向に進んでいることがわかる。そもそも日本国民に核分裂をエネルギーとして売り込み始めたとき、「安全性」を異常なまでに強調した。なぜなら、本当は安全ではない猛毒と破壊力の集合体だからだ。でも「原子力安全委員会」だの「原子力安全・保安院」だの、PRキャンペーンを担う組織の正式名称にまで「安全」を盛り込んだので、のちに福島第一原子力発電所が大破した際、政府はそれを「原発事故」と称して、いくらかの矛盾も認めざるを得なかった。
 ただし、責任は認めなかったのだ。そして「新基準」という新たなPRキャンペーンが開始されて巧妙に勧められ、いつの間にか「安全」という単語が、原子力行政からピンポイントで摘出された。今後は「原子力規制委員会」が、原発の自然災害対策などが新基準を満たしているかどうか判断して、再稼働のために必要なお墨付きを与える。しかし原発が安全か否かについては、触れないつもりらしい。
 鹿児島県の川内原子力発電所の合格に関しては、原子力規制委員会の田中俊一委員長は七月中旬、記者会見でこう述べた。「安全だということは、私は申し上げません。再稼働の判断には関わりません」
 同じ原発の合格について質問を受けた日本政府のスポークスマン、菅義偉官房長官はこう答えた。「原発の安全性は規制委員会に委ねている。個々の再稼働は事業者の判断で決めることだ」
 つまり正式には、法的には、だれひとり「安全」だとはいわないので、再稼働のあと、またもや制御不能に陥ったとしても、明確な矛盾はないのだ。責任を問わない、この言葉の流れの延長線上にあるのは、「原発事故」の改名ではないかと思う。少なくとも、次回は相当の工夫がその呼び名に加えられるだろう。もしかして「原発非常」とくるのか、いや、名称に「原発」もいれないほうがもっと責任逃れしやすくなるので、炭鉱用語にならって「津波非常」や「地震非常」、それから薩摩川内がメルトダウンをきたした場合、「火山非常」と呼ぶのかも……。
 ペテンの技術は脈々と受け継がれて、二十一世紀の権力者と企業は、ちゃんと歴史から学んでいることは確実だ。ならば、ペテンを浴びせられる下々のぼくらも、必死に言葉の護身術を身に付けなければ、いつまで経ってもエジキにされるだけ。終戦記念日を待たずに「終戦の詔書」を読み直すのもいい。人災の悪循環から抜け出る非常口を、切り開きたいものだ。

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ちなみに、私の友人が、この追悼式をツィキャスしてくれました。
http://twitcasting.tv/karikariumemaru/show
 






posted by ボチボチおばさん at 18:38| Comment(1) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

27日スラップ訴訟山口県庁前騒動&辺野古と上関(瀬戸内海)

27日、上関原発スラップ訴訟裁判での、一連の行事がありました。
前回と同じくそれほどの騒ぎも無く終わると思い、
最後の山口県庁前アピールに参加しようと県庁に着いたら、やたらと県庁職員が多く(約10人以上)玄関前に立っていたので、少し変だなと感じました。
前回の時は、こんなに県庁職員は出ていなかった(@_@;)

 広島から来られた人たちが乗っていたバスが着くやいなや、県庁職員がバスの出入り口を取り囲み、拡声器を見た途端に、
「拡声器を降ろしてはいけない!」「拡声器を使うな!!」「大きな声を出すな!」と叫び始めました。

 しかし、広島のメンバーはそれにひるむことなく、拡声器をバスから降ろし、マイクを持って話す人と拡声器は離れましたが、音はよく出ていました。
県庁職員は拡声器を持っている人を取り囲み、また私たちの仲間はそれを守ろうとして(その中にアーサー・ビナードさんもいて)おしくらまんじゅう状態になり、県庁前広場の方へ、少しづつ移動しました。
 県庁職員は、パネルを持って来て、それで拡声器を塞ごうとさえするので、頭や顔にあたりそうで、ちょっと危ない場面もありました(~_~;)
中には、「暴力反対!」と叫ぶ人もいました。

前回は、確か拡声器を使っても大丈夫だったのに、どうして今日はいけないのかと思い、県庁職員に「どうして、今日は使ってはいけないんですか?」と私は聞きました。
「いつも使ってはいけない。」とその人は答えました。
では、何故、前回は見て見ぬふりをしていたのか、私の仲間に聞くと、サポートしてくれる県議会議員がいるかいないかで、県庁職員の態度が違うのだとか。
 そこで、私は、知っている県議会議員の携帯に電話をしましたが、出ません(-_-;)
同じ党の市議会議員に電話をしたら、「今日は、携帯を忘れて外出されているようです。」ガ〜〜〜ン(~_~;)
まっ、その場に居なければ、どうにもなりませんが(-_-メ)

 そんな押し問答をしている最中も、広島の人たちは、一生懸命にマイクで話し続けられました。
ビナードさんは、みんなが散らばる最後まで、ほぼ中心で拡声器を持っている人を守られていました!!
(やはり、あの人はスーパーマンではないかと、私は確信を強くしました!(^^)!)

 
 しかし、途中からは、県庁に向かってみんなが立ちはじめ、拡声器を使うことも止めました。
 被告の一人であるカヤッカーの原康司さんが大きな声で、「山口県知事、村岡〇〇さん、私はあなたと同い歳だ。誰かの操り人形では嫌でしょう?」と大きな声で話しかけると、また県庁職員が近寄って来ることもありました。地声が大きいのは、仕方ないやろ〜<(`^´)>

最後には、ビナードさんも挨拶をされました。
1.27県庁前ビナードさん.JPG

また、ビナードさんが、報告会で話されたお話も、とても心に残りました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 私たちの敵は、中国電力ではなく、もっと向こうにある。
向こう側が願っているのは、私たちが仲間割れをして、力を失くしていくこと。
FBIやCIAは仲間割れをさせる専門家もいるくらい、仲間割れが、一番、敵が願っていること。
みんな少しずつ違っても、目指すところが同じなら、仲間とぶつかりあわないで、本当の敵は誰なのか、よく考えましょう。

 被爆者の語り部から聞いたお話から引用します。
広島にピカドンが落ちた時に、ふと気が付くと隣のお婆さんが、自分の娘の千切れた首だけをリヤカーに載せて、泣き叫んでいた。
原爆が落ちた時に、その娘さんの首に、家の垂木(タルキ)が喰いこみ、その娘さんは亡くなった。お婆さんは、その垂木に向かって、「この垂木め〜〜〜!」と叫んでいた。
しかし、本当に悪いのは、その垂木でもその家でもない。本当に悪いのは、原爆、ピカドンです。
私たちの目にとらえられない、本当の敵を考えましょう。

 瀬戸内海の海を、放射能のスープにしたくない。
 また、辺野古の美しい海も、汚したくない、壊したくない。
 辺野古と上関は深い所で繋がっています。
奄美大島に「瀬戸内町」という所があり、そこの岩や土を、辺野古に運んで埋める予定だという。
(本土の瀬戸内海の名前は、明治時代に名付けられたのだそうです。)
また、本土の瀬戸内海の小豆島の山を砕き、わざわざ瀬戸内海から運び、辺野古の綺麗な海を埋め立てるという。
瀬戸内海に暮らす私たちが、知らないうちに、加害者にさせられてしまう。
 辺野古のことは、瀬戸内海近くに暮らす私たちにも決して遠い所の話ではなく、身近な話なのです。

 『スラップ訴訟裁判』は、いわゆる恫喝訴訟裁判で、僕は『黙りな裁判』と名付けました。
人は黙りなさい、と言われると、余計に話したくなるもの。僕はドンドンしゃべり続けるので、皆さんよろしくお願いします!!

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そして、最後に、広島カープの応援のように、
「スラップ、止めろ!」オー!
「瀬戸内海、守ろう!」オー!
「原発、いらない!」オー!

と、みんなで叫んでお開きにし、広島の皆さんはバスで帰って行かれました(^_^)v

そしてビナードさんは、他の予定があって、新山口まで向かわれましたが、その時も重要なことを友人に話しています。
『中国電力の工事を中断させたのは、直接的には3.11、東京電力の事故なので、訴訟を起こすなら東電を訴えるのが筋!!本当に工事中断が損害だというのなら。』
そうですよね!!こういうのを、本当の「筋違い」というのかな?

私は、今回はデジカメを忘れたので、友人の写真を拝借しました。
が、その一部始終を、その友人がツィキャスを撮っていました。
押し問答があるのは、「拡声器使用初めて妨害される」の画面です。
http://twitcasting.tv/karikariumemaru/show

山口県は何か焦っているのでしょうか?
まさか、県民や周辺の住民の意思を無視して、上関原発をつくる気ではないですよね???

ところで、私の友人はツィキャスを撮ってましたが、実はあるTVカメラマンが、この様子をず〜っと撮影していたのです\(◎o◎)/
ビナードさんは、前日に、柳井市在住の93才の報道写真家、福島菊次郎さんとの対談をされ、それを撮影していたカメラマンがこの日も、ず〜っと撮っていたのです(^_^)/
いつか、全国放送されるかも。といってもBS放送のようですが。
絶好のタイミングではありました、チャン、チャン!!
posted by ボチボチおばさん at 15:53| Comment(0) | 脱原発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月26日

27日スラップ訴訟裁判、28日ヤマトシジミ野原千代さん講演会、31日上関自然シンポ

ようやく講演会が終わったと思ったら、まだまだイベントは続きます(^_^;)

明日、27日(火)には、アーサー・ビナードさんは、山口地方裁判所で開かれる、上関原発計画に関するスラップ裁判に、広島のみなさんと一緒に傍聴に来られます。
昨日の講演会で、ビナードさんは、スラップ訴訟(恫喝訴訟)のことを、『黙りな裁判』と言われていました(^_^)/
このスラップ裁判については、前回もお知らせしましたね。
詳しくは、下記のPDFを開いてよく読んでくださいね(^_^)/
http://touminnokai.main.jp/doc/slap.pdf

《表》
スラップ訴訟パンフ表.JPG
《中側》
スラップ訴訟パンフ裏.JPG

傍聴席が人で一杯になると、裁判官も熱が入るようなので、傍聴席を一杯にしましょう!!

時 間:12時頃には山口地裁前に、広島から岡田和樹さんやアーサー・ビナードさんがバスで来るそうです。
傍聴券の抽選 13:30〜
公判 14:00〜
公判の後、報告会が山口地裁の向いの建物であり、ビナードさんの話もあります。
その後、山口県庁前でアピールがあります。

この他の、山口地方裁判所で開かれる、上関原発関連の公判。
○2月 4日(水)10:30〜埋立免許差止め裁判 
○2月25日(水)11:00〜上関原発用地埋立禁止住民訴訟
いずれも傍聴できますので、ご都合のよろしい方はどうぞご参加ください。
山口地方裁判所:TEL0839-22-1330
※山口地方裁判所は山口駅前を真っ直ぐに県庁方向へ3分歩くと、左側にあります。

ビナードさんは、こうやって上関原発だけでなく、玄海原発、伊方原発の訴訟の証人にも立たれています。
また、昨年夏には、沖縄県の辺野古に行かれて、「もっとたくさんの人が集まれば、きっと止められる」と話されていました。
日本人の民主主義が試されています。


28日(水)夜には、琉球大学で、ヤマトシジミ(蝶)を対象としながら、放射能汚染の脅威、とくに低線量内部被曝の研究をされている野原千代さんの講演会が、宇部市であります。

放射能汚染の脅威、とくに低線量内部被曝の研究は、2011年3・11以後、緊急の課題であるにもかかわらず、「放射能安全神話」のもとに軽視されています。野原千代さんをはじめとする琉球大学大瀧研究室の研究は、世代交代の早いヤマトシジミ(蝶)を対象としながら、実は、生物全体・動植物、人間にとっての大きな知見をもたらすものとなっています。

とくに、脱被曝・放射能汚染のもたらす健康被害から子どもたちを守るために、必要な基礎的研究です。
研究者、医療従事者、避難・保養活動に携わられているみなさん、
なによりも原発のない社会を望むみなさんの ご参加をお待ちしています。
「専門的過ぎてわからない、聞いても自分には役に立たないかもしれない」という心配は、無用です。
判りやすく説明していただきます。
野原千代さん講演会.JPG

〜〜〜〜〜〜〜以下、案内のチラシから〜〜〜〜
琉球大・野原千代さん講演会
福島原発事故による放射能の影響
〜ヤマトシジミ(蝶)に及ぼす生物学的影響〜

 3.11福島第一原発事故は、生物にどんな影響を与えたのでしょうか? 
 野原千代さん(琉球大学理工学研究科生物系大瀧研究室)が、ヤマトシジミの研究から明らかにされた「生物に及ぼす放射能の影響」についての講演会が、その疑問に答えます。
 野原さんは宇部市のご出身で、その研究成果は科学誌ネイチャー『Scientific Reports』に紹介され、さらに昨年11月には、パリとジュネーブで講演され、世界の注目を浴びています。しかし、残念なことに、日本では、これまで大きく紹介されていません。
放射能に汚染された草を食べて育ったヤマトシジミと非汚染地域(例えば、宇部市)の食草のものを比較する実験・解析から、放射性物質の摂取量が少量の場合であっても生物学的影響が検出されたことを明らかにされました。低線量内部被曝は、ヤマトシジミから子供、生物の命につながる重大な問題です。
皆さんぜひ、ご参加下さるようご案内致します。    

と き:2015年1月28日(水)午後6時半〜8時半
ところ:宇部市勤労青少年会館 集会堂
    宇部市松山町一丁目12番1号
    TEL 0836-31-5515
参加費:200円
主 催:いのち・未来 うべ
問合せ:080-6331-0960(安藤)
※野原千代さんについて
WEB参考 琉球大学大瀧研究室 
http://w3.u-ryukyu.ac.jp/bcphunit/fukushimaproj.html


そして31日(日)には、下記のシンポジウムがあります。
”奇跡の海を守ろう!!”上関自然の権利訴訟 公開シンポジウム
【パネリスト】今中哲二氏(学者)・加藤真氏(学者)・山戸貞夫町議・籠橋隆明弁護士
日時:1月31日(土) 13:30〜15:30
場所:上関町中央公民館1F講堂 
    山口県熊毛郡上関町室津847(室津港近く)TEL:0820-62-1460
参加費:無料(カンパ歓迎)
問合せ:上関の自然を守る会 090-8995-8799
http://kaminosekimamoru.seesaa.net/article/409352141.html

上関の海の貴重さを、みなさんに知ってほしいです(^_^)/

 



posted by ボチボチおばさん at 16:47| Comment(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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